この石垣が、かつては琵琶湖湖岸の波除けでした。
救急車が通れる道を石垣下に造られた。
ガイドしてくださった男性は見た目50台半ばかな?
子どもの頃にこの石垣に腰掛けてる写真は白黒でした。
去年の台風21号の風は凄まじく、波除け石垣越えてあちこち被害出たそうだ。
山がギリギリまで迫った狭い湖岸は水が出ない。
集落には三箇所の井戸が掘られ共同で使ってたそうだ。
そのうちの二箇所を案内されたけど、白濁して淀んでる感じ。
あの高島の安曇川伏流水地とは雲泥の差。
あちらでは澄んだ地下水が湧き上がりじゃーじゃー流れてた。
菅浦では水がないのでお風呂は琵琶湖。
冬はどうしてたのか聞き漏らした。
今は水道あるけど、水が無いとこは想像するだけでも大変。
私には住めないわ。
お寺の名前聞いたけど忘れました。
現在の人口は110人程度。
世帯数も100軒ないでしょう。
排他的な村だから人口減ることはあっても増加が難しい。
しかしお寺は4寺だったかしら?
宗派も異なるって不思議。
阿弥陀寺あたりかな?
ものすごく変わったアカマツのような木が目に留まった。
根元から枝が分かれて見たことないよ。
うつくしまつ、という名。
移植したようです。
何年に何処からか聞き漏らした。
昭和天皇が見に来られたとも言われたので、ネット検索したが不明。
小さな集落ですから村巡るのに30分も歩けば十分。
41人は2グループに分かれて見学した。
私たちのグループは最後に須賀神社参拝した。
須賀神社は、天平宝字8年(764)の創建と伝えられる。
祭神は、三柱を祀る
淳仁天皇(じゅんにんてんのう)
大山咋命(おおやまぐいのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
元は、保良神社(菅浦大明神)と称していたが、明治42年(1909)に小林神社、赤崎神社を合祀して一つの神社としたものである。
つづく