吉備大臣入唐絵巻のストーリーが予想外に面白かったと書きました。
そのまま心に留め置くつもりでしたが、
阿倍仲麻呂、野馬台詩、長谷観音が気になって調べているうちに、やはり紹介しておこうと思います。
奈良時代 遣唐使になった吉備真備(きびのまきび)(695〜775)が主人公です。
同じく遣唐使で唐に渡り、現地で客死した阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の霊(幽鬼)の助けを借りて、
唐人から出された難題に立ち向かい見事に勝利するというフィクションの数々が描かれています。
詳しくはこちらで→ボストン美術館 日本美術の至宝特別展
吉備大臣が唐にわたるも、皇帝に才能を警戒されスパイかもと案内されたところは高い楼閣。
鬼が出没して生きて出るものは居ないという場所。
やはり、真夜中、雨風が強くなった頃に一人の鬼が現れる。
正体は同じく唐に渡るも帰国せずにとどまった阿倍仲麻呂の霊であった。
(吉備は遣唐使として2回唐に渡っているので、その2回目という設定?)
翌日、使者たちが楼閣を見に行くが吉備大臣が健在なことに驚く。
唐人は真備を試すため、難しい『文選[もんぜん]』の解読や、囲碁の勝負を持ちかけるが、
この幽鬼の助けによりこれらをことごとく退けていきます。
仲麻呂の幽鬼と真備が飛行自在の術で宮廷へ向かう場面
正座で空飛ぶのもおもしろいけど、案内する仲麻呂は赤鬼さんなので顔が赤く塗られてる。
真備が聞く耳をたて仲麻呂はその後ろで柱に身をかくし見張っている場面
表情は笑えて、日本のアニメの原点のように思えます。
碁の名人と試合をさせられるも、
碁を知らない吉備大臣は幽鬼から手ほどきを受け、天井を碁盤に見立てて策を練る。
名人と初心者である吉備大臣との対局がはじまる。
吉備大臣が碁石を口に一つ含んでいるシーン
吉備が辛勝して納得のいかない名人側が碁石を数えると一つ足りないことに気づく。
そこで占い師に調べさせると「吉備大臣が一つ飲み込んだ」という。
唐人たちは吉備大臣に下剤を飲ませ、排泄物の中まで碁石を探すが、
吉備大臣は超能力で内臓内に石をとどめて難を逃れた。
このシーンの絵も面白いです。
あまりの臭さに鼻に指を突っ込んでいます。
そして最後の難問は「野馬台詩」解読。
流石の真備も文字列がばらばらなこの詩を解読できず途方にくれます。
長谷観音・住吉神に祈りを捧げたところ、
天から蜘蛛が降りてきて詩の上で糸を吐いて歩き回わる。
その糸を辿って読むと無事解読できて、めでたしめでたし!
観音様から使わされた蜘蛛の糸が真備を救ったというお話でした。
こうして難題を無事解決した吉備大臣は、
日本に「文選」や「囲碁」「野馬台詩」を持ち帰ることができたという。
京都の黒谷金戒光明寺では吉備観音像(重文)も拝観できます。
真備が唐より持ち帰った栴檀香木で、行基菩薩に頼み観音さまを刻んでもらいました。
この縁起によりこの観音さまを吉備真備に因み『吉備観音』と呼ばれます。
囲碁の白黒にちなんだおもしろい御守りも賜ることができます。
野馬台詩って何?
なぜ、長谷観音・住吉神に祈ったの?
長谷観音とはいったい…?
野馬台詩(やばたいし、やまたいし)とは、わずか十数行120文字の予言詩
9世紀初頭に中国より伝来,近世・近代に及ぶまで、さまざまな解釈を加えられ未来記として読まれ続けられた。
詳しくは、野馬台詩と蜘蛛の糸などでご検索下さい。
いろいろヒットして、へぇ〜です。
長谷観音については項をあらためます。
実家には、古い掛け軸がありました。
子供心に気になって、おばあちゃんになんて書いてあるのか尋ねたら
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
わずか小学生の頃になぜか阿倍仲麻呂さんが身近な存在だったのです。
去年、実家を片付けたときに見つけたので処分前に撮影しておきました。
阿倍仲麻呂が遣唐留学生として真備らとともに入唐したのは
平城遷都から間もない養老元年(717年)のこと。
仲麻呂はまだ19歳でした。
その後真備と玄ぼうは帰国しますが、仲麻呂は唐にとどまりました。
楊貴妃でおなじみの玄宗皇帝が仲麻呂の才能を愛して手放さなかったからだといわれます。
仲麻呂は官僚試験に合格して玄宗に仕え、李白や王維などの文人とも交流がありました。
仲麻呂が30年以上滞在した唐から日本に戻ることになったとき、
帰国を惜しんだ王維たちが送別の宴をひらきました。
その際に詠まれたと伝えられるのが百人一首のこの歌。
天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に いでし月かも
空を仰ぎ見ると月が出ているが
あれはかつて春日の三笠山に出ていた月なのだなあ
そのまま心に留め置くつもりでしたが、
阿倍仲麻呂、野馬台詩、長谷観音が気になって調べているうちに、やはり紹介しておこうと思います。
奈良時代 遣唐使になった吉備真備(きびのまきび)(695〜775)が主人公です。
同じく遣唐使で唐に渡り、現地で客死した阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の霊(幽鬼)の助けを借りて、
唐人から出された難題に立ち向かい見事に勝利するというフィクションの数々が描かれています。
詳しくはこちらで→ボストン美術館 日本美術の至宝特別展
吉備大臣が唐にわたるも、皇帝に才能を警戒されスパイかもと案内されたところは高い楼閣。
鬼が出没して生きて出るものは居ないという場所。
やはり、真夜中、雨風が強くなった頃に一人の鬼が現れる。
正体は同じく唐に渡るも帰国せずにとどまった阿倍仲麻呂の霊であった。
(吉備は遣唐使として2回唐に渡っているので、その2回目という設定?)
翌日、使者たちが楼閣を見に行くが吉備大臣が健在なことに驚く。
唐人は真備を試すため、難しい『文選[もんぜん]』の解読や、囲碁の勝負を持ちかけるが、
この幽鬼の助けによりこれらをことごとく退けていきます。
仲麻呂の幽鬼と真備が飛行自在の術で宮廷へ向かう場面
正座で空飛ぶのもおもしろいけど、案内する仲麻呂は赤鬼さんなので顔が赤く塗られてる。
真備が聞く耳をたて仲麻呂はその後ろで柱に身をかくし見張っている場面
表情は笑えて、日本のアニメの原点のように思えます。
碁の名人と試合をさせられるも、
碁を知らない吉備大臣は幽鬼から手ほどきを受け、天井を碁盤に見立てて策を練る。
名人と初心者である吉備大臣との対局がはじまる。
吉備大臣が碁石を口に一つ含んでいるシーン
吉備が辛勝して納得のいかない名人側が碁石を数えると一つ足りないことに気づく。
そこで占い師に調べさせると「吉備大臣が一つ飲み込んだ」という。
唐人たちは吉備大臣に下剤を飲ませ、排泄物の中まで碁石を探すが、
吉備大臣は超能力で内臓内に石をとどめて難を逃れた。
このシーンの絵も面白いです。
あまりの臭さに鼻に指を突っ込んでいます。
そして最後の難問は「野馬台詩」解読。
流石の真備も文字列がばらばらなこの詩を解読できず途方にくれます。
長谷観音・住吉神に祈りを捧げたところ、
天から蜘蛛が降りてきて詩の上で糸を吐いて歩き回わる。
その糸を辿って読むと無事解読できて、めでたしめでたし!
観音様から使わされた蜘蛛の糸が真備を救ったというお話でした。
こうして難題を無事解決した吉備大臣は、
日本に「文選」や「囲碁」「野馬台詩」を持ち帰ることができたという。
京都の黒谷金戒光明寺では吉備観音像(重文)も拝観できます。
真備が唐より持ち帰った栴檀香木で、行基菩薩に頼み観音さまを刻んでもらいました。
この縁起によりこの観音さまを吉備真備に因み『吉備観音』と呼ばれます。
囲碁の白黒にちなんだおもしろい御守りも賜ることができます。
野馬台詩って何?
なぜ、長谷観音・住吉神に祈ったの?
長谷観音とはいったい…?
野馬台詩(やばたいし、やまたいし)とは、わずか十数行120文字の予言詩
9世紀初頭に中国より伝来,近世・近代に及ぶまで、さまざまな解釈を加えられ未来記として読まれ続けられた。
詳しくは、野馬台詩と蜘蛛の糸などでご検索下さい。
いろいろヒットして、へぇ〜です。
長谷観音については項をあらためます。
実家には、古い掛け軸がありました。
子供心に気になって、おばあちゃんになんて書いてあるのか尋ねたら
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
わずか小学生の頃になぜか阿倍仲麻呂さんが身近な存在だったのです。
去年、実家を片付けたときに見つけたので処分前に撮影しておきました。
阿倍仲麻呂が遣唐留学生として真備らとともに入唐したのは
平城遷都から間もない養老元年(717年)のこと。
仲麻呂はまだ19歳でした。
その後真備と玄ぼうは帰国しますが、仲麻呂は唐にとどまりました。
楊貴妃でおなじみの玄宗皇帝が仲麻呂の才能を愛して手放さなかったからだといわれます。
仲麻呂は官僚試験に合格して玄宗に仕え、李白や王維などの文人とも交流がありました。
仲麻呂が30年以上滞在した唐から日本に戻ることになったとき、
帰国を惜しんだ王維たちが送別の宴をひらきました。
その際に詠まれたと伝えられるのが百人一首のこの歌。
天の原 ふりさけみれば 春日なる
三笠の山に いでし月かも
空を仰ぎ見ると月が出ているが
あれはかつて春日の三笠山に出ていた月なのだなあ