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Channel: 秋麗(あきうらら)
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交通事犯受刑者も収容する加古川刑務所

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遠景で撮影したので拡大するとやっと
加古川刑務所というプレート表札見えるでしょうか。



撮影禁止ですから。



兵庫県加古川市の日岡山の南東に所在します。


17回にもわたり国東半島の旅の記録綴ってましたが、その間ブログ書いてただけではありません。
ちゃんと月末の仕事もしてますし、あんなことやこんなこともいろいろ。
その中の一つに、保護司会の刑務所施設見学もありました。

こちらは見学日が月曜と指定されてますが、刑務所により曜日は違ったりします。

加古川刑務所の敷地は222353㎡、
甲子園球場6個分だそうで、めっちゃ広かったです。
構内移動に、私たちが乗っていった観光バスで移動したぐらい。
2㎞四方だと聞きました。

旧大阪陸軍航空補給廠(しょう)神野(かんの)出張所の跡地にあります。
昭和23年大阪刑務所管加古川建築場として発足し、
昭和24年加古川刑務所として独立。

昭和39年交通事犯禁錮受刑者の集禁施設に指定。
昭和53年交通事犯懲役受刑者の集禁施設に指定。

平成24年女子収容施設工事完了、収容開始。
平成28年公共サービス改革法のよる給食業務の民間委託開始。

以上の歴史からも、随分他とは違ったところあるのがお分かりいただけるかと思います。

収容定員は
一般区(成人男性のこと) 961名に対し、5/28現在収容数 731名
女区 200名→189
開放区(交通事犯受刑者のこと)120名→41  

初めての交通刑務所見学でした。
やはり一般刑務所とは処遇に違いがあり、自由度が高いし、昼食後鎮魂をささげるスペースで手を合わせる祭壇の間も見せていただきました。

ひょんなことで交通事故の加害者になる可能性は、だれしもあり得ますから。
思いはいろいろ駆け巡りました。




広い構内見学させてもらって、日岡山が気になりました。
加古川の地名由来も含め、調べてみました。
このあたり、加古川市大野、日岡神社があるこの一帯の小高い岡には、前方後円墳4基、円墳11基ある古墳群でした。
景行天皇の后、稲日太郎姫陵(いなひおおいらつめ)のひれ墓も。

この丘が日岡山となずけられたのは、『播磨風土記』によると、
応神天皇が狩をされたときに1頭の鹿が「比比」と鳴いた、
またこの丘を眺めたときに、子鹿がうずくまっているように見えた、
「鹿子(かご)のごとし」というところから、現在の加古という地名につながっているそうです。

古代の歴史満載の地でした。


加古川市には八幡町宗佐という地名があり、宗佐の厄神さんが鎮座します。

宗佐と書いて、そうさと読みます。
うさかと思った。

せんだっての記事の宇佐繋がりです。

宗佐厄神八幡神社近くに加古川学園と播磨学園 があります。
過去に面接や見学に訪れているので記録残しています。


続く






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