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別府から道後へ温泉は「大国主命の大工事」

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この度の国東半島のツアーは、神社仏閣参りがメイン。
新幹線で小倉に入り、帰路は博多から、別府で連泊。
ツアー代金は二人部屋利用が62,800円で、二日目の昼食は含まれてましたが、初日と3日目の昼食はオプションで追加が2,700円。
非公開のものが特別拝観できるとあれば拝観料もかかるでしょう。
となれば、別府温泉で連泊といえども、いい宿は期待できないのはわかってました。
それでも別府やし~
めっちゃ期待してましたが、┐(-。ー;)┌

一緒に行ってくださったお連れが、
「感謝し楽しく暮らせ
今日の日を 不平を言っても同じ一日」
両子寺で見かけたあの言葉をかみしめましょうと言われました。

宿泊したホテルから、予約しておけば鉄輪温泉に送迎してもらえるのを確認し、夕方ホテルに戻ったら鉄輪の日帰り温泉行こうとひそかに予定してました。
ところが初日も二日目も見どころ満載で行程ぎっしり、ホテル帰着が予想より遅くなったので、鉄輪温泉はあきらめた。


二日目夕食の時間までに海まで散歩することにした。
海まで15分ほどの距離で、途中にJR線路があり踏切で待ってると

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ものすごく立派な車両が通過。
あれあれ、これがうわさに聞く、ななつ星やんか!

バッグからカメラ取り出すの遅れて通り過ぎてしまった。
乗車したわけでもないのにテンションUP!!

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ネットで確認したら、ななつ星in九州
このシーズンの行程にドンピシャ。


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博多をお昼前にでて、夕刻18時過ぎに別府について夕食をとり、その後大分へ、だって。
ドレスコードまで記載されてました。


九州新幹線が開通した2011年3月、その少し前にななつ星の構想が発表されたようで、当時のJR九州の唐池社長、やるなぁ~とあらためて感じいりました。
高校の同級生というだけで、招待してくれるわけもないけど列車見ただけで気分高揚した次第です。



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別府港には、大阪へ向けて出港間際のサンフラワーが停泊していました。


>じつは最初に八幡神が降りたって伝説があるんすよ。
そっから宇佐に渡ったと。
というコメントを、奇跡の一枚★USAのご神託や如何にの記事で頂いて、いろいろググってたら

「道後の湯は、別府から地下の樋(とい)をかけて引いた」という伝説もある
と知りました。

「伊予国風土記にいはく」云々と記して
湯の郡。大穴持の命(大国主命)が少彦名の命を仮死状態から蘇生させようと、大分の速見の湯(別府温泉)を地下の樋で引いてきて入浴させた。すると蘇生して元気よく足踏みをしたが、その足跡は今も湯の中の石の上にある。このように、神代だけでなく現在でもこの湯の効能はすばらしく、万病にきく。


これが道後温泉の由来だそうです。
平時代中頃には、藤原純友の乱というのがありましたが、その海賊団を豊予連合水軍が海峡を制圧したようで、地図を見ても九州と四国の豊後水道の間って、様々な交流があったのでしょう。
現在では、海峡を結ぶ国道九四フェリーも、1日16便が運航しています。
国東半島のみかん栽培は、伊予みかん栽培技術をもった入植者によって始められたところが多く、別府の旅館業者の3分の1は伊予からの参入者だそうです。


宇佐の八幡大神も四国と宇佐と行ったり来たり、中央の権力者や抵抗勢力との結びつきでいろいろあったようです。

大神・辛嶋・宇佐の3氏からなる八幡宮神職内部の軋轢は以下ブログに詳しくて読みふけってしまいます。
宇佐の歴史とてもよくわかりました。

こちら


720年(養老4)大隅隼人の乱 鎮圧後「放生会」

749年(天平勝宝元)八幡大神奈良へ行幸、東大寺大仏の建造に協力

754年 厭魅(エンミ)事件:薬師寺の僧・行信と八幡宮の神職・大神田麻呂ら人を呪い殺そうとする呪法を行ったとされ失脚。

755年 八幡大神の宇和嶺遷座:「汝等、穢はしくして過有り。神吾、今よりは帰らじ」と託宣して四国は伊予国宇和嶺(現愛媛県八幡浜)に移り、宇佐には大神不在という異常な事態

767年 宇和峰から大神を迎え、小椋山の北東・大尾山に新しい宮(現大尾神社)

769年 道鏡天位託宣事件

782年(延暦元)小椋山再遷座:復帰した大神氏が八幡宮神職団の主導権を再掌握したことを意味し、以後、八幡大神は応神八幡神として各地に広がっていくこととなる。




国東半島の神仏習合と、宇佐の歴史と、大隅隼人の乱
とかぜ~んぶ繋がってたんですね。



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