金華山(稲葉山)左端に岐阜城、右手道路標識上にロープウェイが見えます。
残念ながら時間なくて上がれなかったけど、わずか329mの高さながらそれはそれは見晴らし良いそうだ。
半世紀ほど前に上ったのに、行ったという記憶だけ。
まずは岐阜大仏の正法寺目指して歩きながら、岐阜公園入り口を写す。
正法寺のかご大仏に見とれて時間使いすぎてしまった。
残すところ30分、足早で岐阜歴史博物館から公園に入ってみる。
女神像の噴水が立派だった。
織田信長居館跡
右横の説明版によると、
ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは「入口に劇場のような家」があり、「長い石段」を登ると「宮殿のような広間」に入る、と記している
岐阜公園はとても品格のある立派な庭であったことが驚きでした。
司馬遼太郎の国盗り物語だったと思いますが、
美濃を制するものは天下を制す って。
信長は、稲葉山城に居城を移し、井ノ口を岐阜と改めました。
岐阜とは、古代中国の周の文王が八百年の天下泰平の世を築いた岐山の「岐」と、孔子が生まれた曲阜の「阜」
周の文王が岐山より中国の天下統一を果たしたように、私もこの岐阜の地より日本の天下統一を果たすという意味をも込めて、
分岐の岐:枝状に左右を分ける+ 丘、のような意味らしいです。
急いで宿に戻ると、予定通り17時よりガイドさんについて川原町の案内が始まりました。
最後にもう一度、松尾芭蕉の等身大の石像越しに金華山の画像。
なぜこんなに金華山が気になるかというと
2013-09-13 木曽の御嶽山はぁ なんじゃらほい♪
金華山は稲葉山ともいいますが、中世の終わりにこのあたりを制圧した美濃のマムシこと斎藤道三の息子龍興を追放して稲葉山城を奪った織田信長。
左右を分ける丘=岐阜
と改めた信長、金華山の上から眺めたその胸の奥にある思いは単なる野望ではなくて品格に裏付けれれたものだったんだろうと、
岐阜の町をほんの僅か歩いただけですがそう思いました。
★9/12追記
秋分のレイライン御来光の道。 その中心となる美濃の金華山。
→こちらのブログ
ここには、
>金華山の麓にある岐阜大仏は、大地震を鎮護するために建立されました。
弥勒のレイラインだけでなく、岐阜大仏まで登場してました!