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Channel: 秋麗(あきうらら)
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人魚の尻尾が西国草創1300年記念印@観音正寺

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人魚の哀願によって建立されたからだそうです。
でもこの人魚は、いわゆる女性ではなく男性。
ご朱印を賜った際にお尋ねしたら、前世が琵琶湖対岸堅田の漁師だったって。
殺生を業としていたために人魚に生まれ変わり苦しんでいたという。

観音正寺は、聖徳太子が近江国に創建された十二箇寺のひとつです。
この地に来臨された聖徳太子は、紫雲たなびくこのお山をご覧になって「これぞ霊山なり」とおぼしめす。

そこへ人魚が登場し「繖山にお寺を建てて、どうか私を成仏させてください」
願いを聞き入れた聖徳太子は、千手観音の像を刻み山頂に堂塔を建立したという伝説が残る。
寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていて、かつてはTV出演したこともあるようです。

日本書紀によると、推古天皇27年619年に、近江の国司が「蒲生川に人魚がいた」と言っている、という記述があるらしい。

太子自らが千手観音の像を刻み、堂塔を建立されたと伝わるにしても、なぜに琵琶湖対岸堅田の漁師が登場することになるのでしょうね。




平安時代になると、万事吉祥縁結びの祈祷道場として広く信仰を集めるも、戦国時代には安土ですから、いろいろ紆余曲折を経ます。
織田信長によって六角氏が滅ぼされたのち、慶長2年(1597)再び山上に堂舎が営まれていた。
本堂が古びたので明治15年(1882)彦根城欅御殿を移し本堂としていた。

ところが、平成5年(1993年)火災で重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像もろともに焼失。


本堂は平成16年(2004年)3月に再建され、ご本尊千手観音像もインドより特別に取り寄せた白檀で彫られました。



寄木造の立派な丈六仏です。
とても立派でやさしいお顔で、ほんまに千手あるそうです。
実際に千本の手を持つ千手観音を真数千手(しんすうせんじゅ)は作例少なく、他に有名なのは
・奈良市の唐招提寺
・大阪府藤井寺市の葛井寺
・京都府京田辺市の寿宝寺


本堂から細長い境内を見ると


この画像には写っていませんが、左側に山斜面が迫り、本堂に向かってなら右手になります。

石が積まれてあって、池を渡れば「えんむすび地蔵尊」



さらに水かけ観音の「魚濫観音」



観音様が魚の上に乗って、踏みつけられた魚は大きく口を開け悲鳴をあげているようにも見えます。

人魚と魚濫観音との間に何か繋がりあるような・・・




本堂左手前の杉大木の根元に、「白蛇大明神」


「ご神体は白蛇形にして21日、37日間と限って参拝祈願するならば、福徳を得て祈願成就すると言い伝えられています。」

本堂内で朱印書いてくださったおっちゃんに、白蛇大明神祠もお尋ねしました。
「ここの謂れはわからない、なにせまだここで働くようになって日が浅いから」と言われました。





最後に、りひとさんのアンテナに引っかかった裏参道の入り口にある、結神社(むすぶじんじゃ)について。
ネット検索したことをつらつら並べときます。
立派な拝殿・弊殿・本殿があり、地方の神社とはとても思えない豪華さらしいです。
祭神は、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后の三柱で 
主祭神は、誉田別尊、神紋は左三ツ巴の八幡宮です。
壬申の乱の際に、川島皇子(天智天皇の第二皇子)と忍壁皇子(天武天皇の皇子)が戦いを避けて、この地にいらしていた時に勧請したとされる。

なぜに結神社という名前なんでしょう。

「平安時代になると、万事吉祥縁結びの祈祷道場として広く信仰を集め」た観音正寺の裏参道入り口の神社。
本堂が移動してるんだから、参道も裏も表もそのとき次第。
いつの時代かには、表参道入り口にあたり、そこにこの神社があったのかもしれない。



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