数年前に実家を片付け時に天袋から金盃銀盃がいくつか出てきました。
収集癖ないのですぐ売りました^ ^
庶民の家だったので純銀製はありましたが金盃はメッキでした。
一見したところはまさに金盃、裏に24KGPとか金メッキの印字されてると安心です。
時に純金製ともなれば重さがあるので慎重に確認します。
かつて銀盃で不明なもので超音波検査により銀メッキとわかったものもありました。
今回の売主はホンマもん純金製金盃でホクホクで帰られました。
たまたま箱のひとつに「金盃の栞」というリーフレットが入ってました。
ダイカスト、初めて知ったので調べてみました。
詳しくは→鋳物とは?鋳造とは?
このサイトが素人には一番わかりやすかったです。
「鋳造とは、作りたい形と同じ形の空洞部を持つ型に、溶けた金属を流し込み、それを冷やして固める加工法です。
型の種類によって、砂を固めて作った砂型、金属を削って作った金型、樹脂型や石膏型などがあります。型のことを鋳型と呼び、鋳造で作ったものを鋳物といいます。」
ダイカスト法とは、
die casting でダイキャスト ダイカストと呼ばれる、鋳造のやり方の一つです。
「高速、高圧で余裕金属が金型に充填されるため鋳肌がきれいで寸法精度に優れ、薄肉複雑鋳物がハイサイクルに生産できるという特徴があります。」
最近は、MIM(Metal Injection Molding)
金属粉末射出成型法といわれる機械加工、ダイカスト、精密鋳造、粉末冶金に次ぐ第五世代の金属加工法もあるようです。
どんどん見分けつかなくなりますね。
ついでに興味は尽きなくて、
古代の砂型鋳造法で奈良の大仏さんはどのように造られたが
Wikiより引用
1 まず、木材の支柱を縦横に組み、これに細い枝や麻縄などを巻きつけ、塑像の芯材の要領で大仏の原型の芯を造る。
2 大仏のおおよその形ができたら、これに土をかぶせる。かぶせる土はきめの荒いものから塗り始め、だんだん外側へ行くにしたがって粒子の細かい土を塗っていく。こうして金銅像と同じ大きさの土製の像ができる。これを原型または中型(なかご)という。
3 中型の土が十分乾燥してから、今度は中型を外側から覆うような形で「外型」(雌型)をやはり粘土で造る。巨像のため、外型は下から上へ、8段に分けて造られた。中型と外型が接着しないように、剥離剤として薄い紙をはさむ、あるいは雲母をまくなど、何らかの方法が取られたはずである。
4 外型を適当な幅で割り、中型から外す。
5 外型の内面を火で焼き、型崩れしないようにする。
6 中型の表面を一定の厚み(数センチメートル)で削る。この作業で削った厚みが、完成像の銅の厚みとなる。
7 一度外した外型を再び組み合わせる。外型と中型がずれないようにするため型持を入れる。正倉院文書によれば、型持は4寸四方、厚さ1寸の金属片を3,350枚造ったという。
8 炉を持ち込み、高温で銅を溶かし、外型と中型のすき間に溶けた銅を石の溝から流し込む。中型を削ってできた空洞がそのまま完成像の銅の厚みになる。大仏の場合、巨像であるため、脚の部分から頭部まで全部で8段に分け、丸2年かけて鋳造したことが知られる。
大仏建立に用いられた銅の量は記録によって差異があるが、約500トンと考えられている。『東大寺要録』が引用する縁起文によれば、大仏建立に用いた銅は「西海から」集めたとしており、銅のほとんどは山口県の長登銅山やその近隣の銅山で産出された銅でまかなわれたことが推察される。
像表面の鍍金(金メッキ)の溶剤として用いられた水銀の中毒、但し水銀よりもむしろ巨大な大仏製造のための銅による鋳造過程での環境破壊に問題があった可能性が大きい、と近年指摘されている。
そしてその水銀は、どこから調達されたか。
丹生鉱山(にうこうざん)は、三重県多気郡多気町にあった水銀鉱山で・・・
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ふつうに丹生都比売を追っかけするのと違って、視点を変えて調べると新たな発見ありますね。