九度山の観光地図です。
一般の地図には、旧萱野家のすぐ向かいに遍照寺が記載されてますが、観光地図にはほぼ見当たりません。
なんかワケありでしょ。
もう少し大きい範囲で見ても同じでした。
紀の川の支流が丹生川なんですね。
左上のブログ管理人が記した青い○の地域、これも気になりました。
慈尊院や丹生官省符神社の下です。
なんと旧高野口町名倉の飛び地が九度山町にあり橋本市へ合併後も継承されたんだそうです。
これもきっとワケありなんでしょう。
九度山は、真田と空海の二つの時代が重層的に重なっている地でした。
それでいて、九度山の地名由来は一般的に、高野山の弘法大師が母に会いに九度通ったからと知られています。
しかしこれは明治以降のことで、その昔は遍照寺の門前看板のとおりなんだろうと思います。
「神代の昔から有為の峰といって、丹生・白髪大明神のあるところ、弘法大師が槙尾山で修行されておられた頃、かたわらの弁財天をご信仰なされて、日夜お参りされていた。高野山をお開きになってからも厚く信仰され、つきに九度ずつ槙尾山に参詣されていた・・・そこへ弁才天が現れて、この地にわれを移し祀れ、と告げられた」
おまけにこの寺の場所は、かつて真田幸村が暮らしたところで、真田庵は父親の居所。
この点をスルーするかのような観光地図でありました。
きっとなんかあったんでしょう。
真田庵の真田地主大権現で光の入った画像、これは鳥居右手にあったお不動さんを彫られたような石柱を写そうとしたのでした。
目神様も含めて、検索してもわかりませんでした。
当日のボランティアガイドさんは流暢にすらすらと淀みなく解説してくださいましたが、強弱なかったのでついうっかりいろいろ聞き漏らしたかもしれません。
しかし、どう考えてもこの地は弁財天、水の神様がもともと祀られたように思え、その女神さまが目神様として私の目に留まったように思えます。