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弘法大師は子供の頃から弁財天を信仰し、高野山開創後も毎月九度は和泉の槇尾山の弁財天を参詣していました。
ある日、紀ノ川が増水して渡れずにいると、「対面石」に弁財天が姿を現され、「和泉まで参詣するの大儀だから、九度山に遷して参ればよい」とのお告げがあった。
九度山のまちなかマップには、
対面石は、現在でも街道筋のこの地にあり。紀伊続風土記にも、「弘法大師 槙尾明神と対面せし処といひ伝へたり」とあります。
今では弘法大師が母公と対面した所と説明されていますが、これは明治時代以後のこと。
ここは、槙尾に登る口あたりにあり、神聖な石も祀る大切な場所であったと考えられます。
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遍照寺は、大石順教尼記念館の旧萱野家の向かいにありました。
旧萱野家は、もと不動院とよばれた高野山の里坊だったそうです。
なぜかマップには遍照寺の記載も説明もありません。
赤のボールペンで★印入れましたが、ホンとはもう少し上の大石順教尼の字あたり。
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門から覗いてみると、境内背後に高野山の山の連なりが見えます。
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真田信繁がこの場所で暮らした説があり、河岸絶壁で攻めにくい場所でもありたぶんホンとらしい。
すぐ坂の下の民家には信繁が使った井戸も残されてて、塀越しに見ることができた。
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槙尾山「遍照寺」門左手の説明版には
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弘法大師が槙尾山明神社に弁財天を遷した際に、槙尾明神の別当寺として創建されたようです。
槙尾山施福寺は去年のGWに西国33箇所朱印賜りに参詣しました。
2016-05-02 西国33所第4番施福寺と空海と、祖父の思い
方違大観音のお姿がまぶたに焼きついています。
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午前の部が終了し、お昼はそば処幸村庵で天ぷら蕎麦をおいしく頂戴しました。
午後の部に続く
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弘法大師は子供の頃から弁財天を信仰し、高野山開創後も毎月九度は和泉の槇尾山の弁財天を参詣していました。
ある日、紀ノ川が増水して渡れずにいると、「対面石」に弁財天が姿を現され、「和泉まで参詣するの大儀だから、九度山に遷して参ればよい」とのお告げがあった。
九度山のまちなかマップには、
対面石は、現在でも街道筋のこの地にあり。紀伊続風土記にも、「弘法大師 槙尾明神と対面せし処といひ伝へたり」とあります。
今では弘法大師が母公と対面した所と説明されていますが、これは明治時代以後のこと。
ここは、槙尾に登る口あたりにあり、神聖な石も祀る大切な場所であったと考えられます。
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遍照寺は、大石順教尼記念館の旧萱野家の向かいにありました。
旧萱野家は、もと不動院とよばれた高野山の里坊だったそうです。
なぜかマップには遍照寺の記載も説明もありません。
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すぐ坂の下の民家には信繁が使った井戸も残されてて、塀越しに見ることができた。
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弘法大師が槙尾山明神社に弁財天を遷した際に、槙尾明神の別当寺として創建されたようです。
槙尾山施福寺は去年のGWに西国33箇所朱印賜りに参詣しました。
2016-05-02 西国33所第4番施福寺と空海と、祖父の思い
方違大観音のお姿がまぶたに焼きついています。
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午前の部が終了し、お昼はそば処幸村庵で天ぷら蕎麦をおいしく頂戴しました。
午後の部に続く