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不思議だなと思う心 間違い探しが苦にならない これがものの鑑定に役立ちます
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    だいせんじ と読みますが、
    昔はおおがみやまと呼んでいたと書いてあるのを見かけました。
    それでいつからかなと調べてみたら
    BES大山(鳥取)というブログがヒットして

    全国には青森から沖縄まで111ヶ所ばかりに「大山」と書く地名があります。
    その読みは【おおやま】と呼ばれる所が圧倒的に多いです。
    「大山」を【だいせん】と読まれるのはここ鳥取県だけです。
    では、何故【だいせん】と呼ばれるようになったのか
    【だいせん】と言う読みは、呉音(ごおん)から来るものです。
    呉音とは、日本に古く伝来し、仏教関係の語に多い漢字の音で、大山の古い歴史を伝えています 

    そのブログの最新記事が、2018-11-03 投稿で
    この秋一番の良い天気

    ちょうど大山ウォークの日だったんだと、めっちゃ気分良くして、他の記事も読ませていただきました。

    ものすごく詳しくて、大山信仰、牛馬信仰調べてたのが、ココを先に見ればよかったと思うほど。
    大山 歴史・文化カテゴリー(114記事)

    横手道の記事は石の鳥居で終わってますが、そのあと大山寺参道までに、夏山登山道への階段があります。
    そのあたりに、阿弥陀堂と圓龍院があるのですが、うっかり勘違いして阿弥陀堂へ行けなった。






    佐陀川の大山寺橋を渡って、参道途中に合流 15:30
    集合は16:40なので一時間以上ある。

    神社仏閣参りは午後4時頃までにと聞いてたので、間に合うなと大山寺お参り行くことにしました。
    この時点では参道がどこまで続いて、どれぐらい時間要するのかわからなかった。


    この画像は帰りに撮影しましたが、参道の感じが分かるように先にアップします。



    お参り終えて帰る人もいて、紅葉の行楽シーズンにしてもエライ人気やなと意外でした。


    山門左側に、大神山神社奥宮鳥居



    まずは大山寺へと拝観料払って奥に進み、まだまだ続く階段上がって本堂にお参り。
    続いて下の境内に祀られる十一面観音さんとお不動さんにもお参り。



    階段にものすごく足の長い蜘蛛がいた。
    木谷沢渓流でも見かけました。

    長い足の先を杖先のように地面確かめながら、ものすごいスピードで進みます。
    蜘蛛ちゃうかもしれんとググってみたら
    ザトウムシ

    地面をさぐる触覚のようにも思えたものは、足だった。
    長い足で前を探りながら歩く様子から、座頭虫の名がある、とWikipediaに載ってました。

    一瞥するとクモを連想させる外見で、俗称としてメクラグモと呼ばれることもあるが、クモとは別グループに属する。
    最古の化石記録は4億1千万年前(デボン紀に相当)のものが知られている。
    英語圏の名称はHarvestman(刈り入れ人夫)、特に米国では“あしながおじさん(Daddy Longlegs)”の愛称がある。



     
    大山寺サイトより
    奈良時代養老2年(718)金蓮上人に依って山が開かれ1300年
    「大山寺縁起」によると
    出雲の国玉造りの依道がある日金色の狼を追って大山に入り一矢にして射殺さんとすれば、矢の前方に地蔵菩薩が現れ信心の心がにわかに起こり弓矢を捨てた。狼はいつの間にか老尼と化し依道に話しかけた、という出来事により依道はすみやかに出家、仏道の修行をしこの山に地蔵権現を祀りその名を金蓮と改めたと記される。

    天空はるかかなたの兜率天の角が欠けて大きな盤石が地上に落ちて来ました。盤石は三つに割れてその一つは熊野山になり、二つは金峰山になり、三つはこの大山になりました。
    こうしたことからこの山を角磐山(かくばんざん)と名付けられました。大山寺は山岳信仰の対象となる霊山大山に早くから山岳修行僧が入り「修験の山」として全国に知られました。


    盤石は三つに割れて、熊野山・金峰山・大山になったなんて初めて知った伝承でした。

    続く

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    大山寺参詣終えて、15:57撮影。
    参道を下った所に駐車場があり、集合時間は16:40

    奥宮鳥居右下に徒歩15分と書いてある。
    往復30分かかる奥宮まで行くのはちょっと厳しい。
    とりあえず5分だけ歩いてみようと鳥居くぐった。




    無名の橋を渡っただけで罪障が消滅するって、これだけで充分来たかいあったね。

    石畳が結構凸凹してて歩きづらい。
    これで15分で歩けるだろうか・・・

    参拝終えて下山して来る人達に、あとどれぐらいと何度か尋ねながら5分歩いた。
    まだまだという。
    後で調べたら700mの日本一長い石畳参道だった。

    若者は難なく歩いてるけど、足に自信ないものは捻挫がこわい。
    引き返すことにした。

    鳥居近辺の巨木と岩を撮影。









    昨夜、学生時代に学科の勉学とクラブのハードな稽古、心身ともに苦楽を共にした友人に大山合宿を確かめた。

    当時は上の学年から言われるがまま行動してたし、合宿の詳細情報も残してない。
    アルバム見てもさほど分からんと思うな、と。
    すっかり忘却の彼方で、かすかな記憶をたどって合宿行った地を再訪しようかという話になった。

    しまいこんだ過去のアルバム出してくるのは面倒だった、
    でも記憶以上の情報あるかもしれん。






    1975年夏合宿のアルバム開いたら、
    宿泊地が「山の宿 常盛館」と判明。
    大神山神社で練習してる写真が多数貼ってあった。
    かすかな記憶ではお寺の境内で練習した気になってたのに、大山寺ならずっと立派で、いくら半世紀前といえども違うだろうと。
    どうやら境内は、大神山神社奥宮だったようだ。
    あの石畳参道は若い者には全く躊躇の対象とはなってないから、記憶にとどまってないのだろう。


    手がかりを元にググってみると






    下山神社は、大神山神社の左手に鎮座している。この神社は、神の使いの白狐「したぐらさん」の霊験で知られている。社殿の前には、大きな石狐。台座も含めると2メートルはありそうだ。しなやかなからだつきで、首輪までしている。下山神社の社殿の足下には、小さな穴が2つ開いている。これは、「きつね穴」。里を駆け巡った狐が、そのようすを神に知らせるための穴だ。したぐらさんは、すべてをお見通しというわけだ。悪さなどしようもない。

    修験道場として開かれた霊峰大山。霊気を帯びた自然に囲まれ、大神山神社奥院と下山神社の周辺は、ことさら空気が澄んで静寂に満ちている。たまに、大神山神社奥院の社殿の片隅に腰掛けて、静かに瞑想する人を見かけることもある。雑念を払いたい、頭を空にしたい、心を鎮めたい。そう思ったら出かけて、しばらく深呼吸をしてみよう。いつしか安堵し、厳粛なパワーに気も引き締まるに違いない。

    引用元:神々のふるさと山陰大神山神社奥宮と下山神社




    屋根の形などからして境内社の下山神社のように見える。
    石狐像も写ってる!


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    11/3大山ウォークも終了間際に駐車場から大山を撮影。
    16:40にバス発車して車中からは白雲が噴火煙のように見えた。



    2万年以上前の噴火で、弥山、三鈷峰、烏ヶ山の3つの溶岩ドームが形成されたそうです。
    2016年(平成28)10月21日鳥取県中部地震では、倉吉市、湯梨浜町、北栄町で最大震度6弱を観測。
    大山の噴火だっていつかずっと先にあり得るのかもしれない。


    大山山麓を歩きながら目に留まって、画像残してたものを帰ってから調べてみると 
    へぇ~! そうだったんだ
    調べだしたらキリがないので、その入口だけでも記録残しておきます。



    大山寺参道で見かけた白地に藍色の旗。

    必要なものは この山が 調えてくれる。


    大山の恵に感謝したシンボルマークで、1300年を迎える2年前にデザインされたようです。





    ブナの森に蓄えられた水が、山裾を伝い、海に栄養分を運び、それが良質な海藻を育てる。
    大山の自然林の水が山を伝い、その水に支えられて多くの人々の暮らしがあり、その恵を守り紡いだ事が歴史や文化になっていった1300年。
    そして今も尚、大山に支えられて生きている、その状態こそ将に「調ふ」ことなのだと。


    大山信仰
    大山は、出雲風土記に伯耆国の大神岳、大神山ともいわれてた。
    雄大かつ神々しいところから、
    「大いなる神のいます山」「神の宿る山」として崇められてきた。
    そして火山噴火物が堆積した土壌にブナの木が育ち、蓄えられた水が人々の暮らしを潤す。
    水の恵みに延命を求める地蔵信仰が盛んとなる。

    地蔵菩薩が生きとし生けるものすべてを救う仏さまであることから、平安時代に大山寺の高僧 基好上人が牛馬安全を祈願する守り札を配るとともに、山の中腹に広がる牧野で牛馬の放牧も奨励した。



    参道の蕎麦屋さん前にあった行燈の絵が牛。

    牛馬信仰
    人々は牛馬を曳き連れて大山寺に参って守り札をいただき、牛馬にも「利生水」を飲ませて延命を祈った。
    さらに守り札は牛舎の柱に貼って安全を祈る。

    牛馬の育成に適した大山山麓の牧野で育った体格の良い放牧牛は参詣者の注意をひき、また、参詣者が曳き連れてきた牛馬もあって、大山寺の春祭りなどに牛くらべ、馬くらべが開かれた。
    これが発端となって、鎌倉時代以降、次第に牛馬の交換や売買が盛んに行われ、やがて市に発展していったと伝わる。

    大山の裾野に自然に生まれた牛馬の市は、江戸時代には大山寺に庇護され信仰に裏打ちされた全国唯一の「大山牛馬市」へと発展。
    江戸時代後期には、福島の白河馬市、広島の久井牛市と並ぶ日本三大と言われるまでに隆盛を極めた。
    さらに明治時代には日本最大の牛馬市へ。

    廃仏毀釈の影響で、大山寺の寺領も取り上げとなり権力が衰退。
    牛馬市は昭和12年に閉幕となるも、「和牛」誕生へのいしずえとなった。

    牛馬市をささえた「大山道」には、
    坊領道、尾高道、溝口道、丸山道、横手道、川床道があり、そのうちの横手道の一部を歩くことができた。

    この大山街道は牛馬だけではなく、砂鉄、綿、木綿など伯耆地方の産物が都へ江戸へ運ばれました。

    古代~中世の武装した僧兵は、ここ大山でも強者でした。
    一時は三千余の僧兵がおり、隠岐で挙兵し上陸した後醍醐天皇が僧兵の力を借りて船上山に立て篭もり、名和長年の弟源盛と共に足利軍を打ち破ったことでも有名らしいです。

    最盛期には中門院、西明院、南光院の三つの寺院集団があり、一山三院四十二坊からなる一大勢力を誇った大山寺領は、鳥取藩の治外法権だったとか。
    大山寺はもとは中門院大日堂と言い、争いの際に仏像などを一時的に避難させた物置のような場所だった。

    明治の神仏分離で、大神山神社奥宮も大山寺も紆余曲折を経て今があるようです。





    烏天狗の絵が気になった。

    大山 伯耆坊です。

    以前に鞍馬天狗や太郎坊宮の記事書いたときに、
    八大天狗を調べたら
    愛宕山 太郎坊
    比良山 次郎坊 
    飯綱 三郎
    鞍馬山 僧正坊
    大山 伯耆坊
    英彦山 豊前坊
    大峰山 前鬼坊
    白峰山 相模坊

    今回確認のため再調査したら

    ☆愛宕山太郎坊(あたごさんたろうぼう)
    京都の愛宕山に棲む大天狗。数多くの眷属を従え、火を司る。
    天狗の総大将として知られる。

    ☆鞍馬山僧正坊(くらまやまそうじょうぼう)
    牛若丸に武術を仕込んだことで有名な鞍馬天狗。

    ☆比良山次郎坊(ひらさんじろうぼう)
    もとは比叡山の天狗であったか、比叡山に法力の強い法師が多数集まってきたため、滋賀の比良山に移り住んだといわれている。

    ☆飯綱三郎(いづなさぶろう)
    長野の飯綱山に棲む。竹筒に入るほど小さい「管狐(くだぎつね)」を飼い、それを使役する「飯綱の法」という術を使う。

    ☆相模大山伯耆坊(さがみだいせんほうきぼう)
    もともと鳥取の伯耆大山に棲んでいたのだが、神奈川の相模大山にいた相模坊(さがみぼう)が四国の白峰に移ったため、その後任として相模大山へ来たという。

    ☆大峯前鬼坊(おおみねぜんきぼう)
    もとは奈良の生駒山に棲む鬼だったが、修験道の開祖・役小角に改心させられた。その後、妻の後鬼とともに役小角に付き従って山々をめぐった。

    ☆白峰相模坊(しらみねさがみぼう)
    讃岐国に流刑になり、香川の白峰で憤死した崇徳上皇の御霊を慰めるため、相模から移ってきたとされる。

    ☆彦山豊前坊(ひこさんぶぜんぼう)
    福岡と大分の境にある英彦山(ひこさん)を守護する。 英彦山は、羽黒山、大峰山と並び日本三大修験の山のひとつに数えられる。




    去年、白山が1300年で養老の滝もそう。
    今年は、熊野三山、国東半島、そしてここ大山が1300年。

    718年ごろに何があって、日本各地で開創や開基が相次いでるんだろう。
    なぞは深まるばかり・・・

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    幸也(さちや)2018年日本公演(コンサート)天使の光輪 
    中国三十六簧活斗鍵打笙とシンセサイザーが織りなす天界の響き

    土曜夜、阪急グランドビルで開催されたコンサート。
    今年の日本での開催は大阪が最後で、次があるならもっと早く告知したんですけど。



    会場では撮影禁止だったので、リーフレットだけ撮影。


    幸也の音楽ウェブサイトより


    右端の中国の36笙の生演奏に、シンセサイザーの伴奏は録音したものが合わさって、確かに宇宙的でした。
    鳥肌立つような感動というわけではないですが、す~っとその世界に入り込めてリラックスしました。
    そして何よりも、その夜はぐっすり眠れた。
    翌朝8時まで目が覚めなかったのなんて、何年ぶりだろう。

    もともと日本の雅楽の笙の音色もTVでしか知らなかったし。
    日本の笙は8世紀に伝わり今なお原型が継承されてますが、
    中国では17管が36と倍増し様々な改良を経て、和音も出せるまでにパワーアップしたそうです。
    詳しくは☞ 幸也の音楽

    演奏合間の天使の話とかがとても興味深かった。


    大阪で初めてのコンサート開催を知ったのがこの夏。
    幸也さんからの案内メールでした。

    きっかけは、2011年1月オランダベルギーのツアーだった。
    ペギン修道会と尼僧物語 2011/1/19

    傘で示した先は 2011/3/9


    すでに2011年のブログ記事で 幸也の世界 のリンク貼ってますが、ずっーと常にウォッチしてたわけではない。
    昔から三十六簧活斗鍵打笙のコンサートされてたようですが、大阪開催ではなかったので詳しくチェックしなかった。


    改めてじっくりウェブサイトを拝見しました。
    トップページの説明文を引用させていただきます。
    ご関心おありの方は、幸也さんのサイトで音楽も聴くことができます。


    このウェブサイトは
    幸也個人についての情報を公開するためというよりも
    宇宙の中のひとつの存在としての幸也が
    感じ 考え 生きている世界を御紹介するためのものであり
    また「SATHYA]という名は
    サンスクリット語で「真理」という意味の言葉が由来であり
    したがって「幸也の世界」というよりも
    「真理の世界」「宇宙の真理」であり
    「宇宙の中の幸也」という方が より正確かと思います。

    ですので このウェブサイトは
    幸也に出会った皆様が その出会いを通して
    宇宙に目を向け 宇宙からの声に耳を傾け
    地球や宇宙の真実を知って頂けたらという
    願いをこめたものであり
    この《幸也の世界》が
    皆様が宇宙を垣間見る切っ掛けになれば幸いです。



    このホームページには 時事的な内容は含まれておりません。従いまして 頻繁に更新されるものではないことを御了解下さい。

    宇宙には著作権はありません。
    「私有」は 宇宙の法則に反した地球特有の文化です。
    全ての情報は 宇宙そのものと その中の全ての存在が共有しているものです。
    けれども 著作権を 人間における人権のように解釈すると すべて創られたものは 創られたその瞬間から著作権が発生します。
    ですので このホームページ内の文章・音楽・画像等 全てに著作権が存在します。
    もし ここで表現されているものから何かを感じられましたらば
    複製 または改変しての公表・配布等をするよりも 感じ取られたそれを 更に世の中の役に立つように 御自身の表現・言葉・行動等で他の方に伝えていって頂ければ幸いです。




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  • 11/14/18--17:48: 地始めて凍るころ
  • 朝晩めっきり寒くなりました。
    体調管理にご留意くださいね。
    あの暑すぎた夏が過ぎ、台風もいっぱい被害残して、いつのまにか晩秋。
    年々歳々相似たり、ながらも今年は紅葉前に枯れた葉っぱも目立ちます。



    水栽培で根を出し芽が茎にまで育ったアボガドは、鉢植えでしっかり根付いてます。

    左右に置いたカニサボテン、デンマークカクタスはやっと蕾がちらほら。




    芽が出たサツマイモのキッチングリーンはえらいことなってきました。
    根がどんどん広がるので、ジャム空瓶からガラス花瓶にサイズアップ。
    そしたらさらに成長加速して、茎と葉っぱも茂り自立できなくなった。
    昨日支柱を立てました。
    この先どうしよう(*´ω`*)

    先日の幸也コンサートで聞いたところによれば、生命は光で宇宙エネルギーで育ち生きてると。

    宇宙エネルギーをうまくおろすことができたら生きてくことができる。
    この夏、食べたアボガドの種を水栽培して育てたのは7個。
    でも育ったのはわずか一つだけ。
    同じような手を掛けて、宇宙エネルギーが降りるにあたり、私の介在はなかったのか、関与というか触媒になれなかったのか。


    ずっと昔、宇宙船エンタープライズのドラマをずっと視聴してた。
    カーク船長とスポック博士はよく覚えているけど、ストーリーで印象に残るのは一つあります。

    ある時エンタープライズが航行中に漂流船に遭遇し、その宇宙船に滞留してた生命体が乗り込んでくる。
    しかし姿形はない光だけで目には見えない存在だった。
    情報伝達は音声ではなくて、脳にダイレクトにだったような。


    幸也さんが生命は光で、肉体は借り物と言われたのと一緒です。
    その借りた肉体にかぶさる光の生命体が、いわゆるオーラとして見えるんだって。

    手指の間に数ミリのぼや〜っと白く指を覆うものだと。
    これを聞いてから時々指の間眺めてます^ ^

    さらに見える人は人体の周りを包むオーラとして。
    これが30cmぐらいだとすると、その距離内に侵入してくる相手をどこまで受け入れることができるかが対人関係の距離です。



    天使が背中に翼を持ち、天女が空とぶ透け感ある羽衣もつように、そして中性的 に描かれるのは光だから。
    昔の人はそれが見えたが、現代人はほとんどの人が見えなくなってるのでしょう。

    続きは忘れないうちに、またね。


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    市販の液体うどん出汁に、鶏もも肉と大根入れたりして簡単おでんはよく作ります。
    ゴボ天など練り物や厚揚げも合います。
    うどん出汁の湯豆腐もイケてますよ。

    先日は他に入れるものがなかったので、小さめトマト丸ごと。
    皮は加熱でかってに剥けます。
    味はトマト嫌いでない限り大丈夫(^^)v


    今は年中あるトマトですが、
    トマトといえば夏合宿を思い出します。

    大神山神社奥宮の記事で、43年前の古い写真をご紹介しましたが、差し入れてもらったトマトにかぶりつく写真は載せませんでした。
    氷水をはったバケツいっぱいのトマト。
    あの頃のトマトは酸味も強く青臭かった。

    確か、カレーの甘みは玉ねぎで、酸味はトマトで調節するときいたことがあります。
    それぐらいトマトは酸味と直結したものだった。
    今でこそフルーツトマトのような甘いトマトが主流ですけど。



    古いアルバムめくってたら、いつの夏合宿でも神社境内で練習してた。
    踊り子姿はまるでアメノウズメやんと笑えました。

    1年と4年は信州の神城。
    2年は能登のどこかも不明ながら、神社境内と洞窟前の写真残ってた。

    そして3年の時に大山だけ、大神山神社と脚注残してた。
    他の年度は神社境内でとしか書いてなった。
    ホンマに神社仏閣興味なかったのがよくわかります。


    さて、トマトですが、今は旬というものがなくなりました。
    かつての盛夏の青臭いトマト、
    懐かしくもあり栄養滋養もあったんではないかと今にして思います。
    ニンジンは8月のはカロチン多いと聞いたことあります。


    幸也さんの話では、薬草は季節や摘む時間によって成分が異なるんだと。
    昔の人はそれを知ってて朝4時ごろに摘みに行ったそうだ。



    森永製菓の過去のロゴマーク



    イタリアはアッシジの教会でお土産に買ったエンゼルたち


    翼をもって空を飛ぶカワイイ中性的なエンゼル
    昔の人は見えたんでしょうか。




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  • 11/17/18--20:57: 松尾寺のクスノキ


  • 和泉市サイクリング中

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    昨日11/18に、祖父江の銀杏並木を歩きに行こうと秋の初めから計画してた。
    けど人数集まらなくてそのウォークツアーは中止になった。

    催行決定が微妙だなと思われてた10月下旬、新聞広告に
    「和泉市モニターツアー」参加費無料というのを発見し、電話で問い合わせたら10分で満席なったと言われた。
    さすが無料となれば皆さん早いな。

    で、11月に入り違うとこどこ行こうか探してるときに、
    「和泉市の魅力再発見 サイクリングツアー」の広告見つけた。
    11/18まで10日しかないのに、もう無理かなとまたまた電話確認すると空いてるという。

    そして昨日がその当日でした。
    9:30 泉北鉄道の和泉中央駅前南自転車駐輪場集合


    サイクリング自転車は自分で持ち込んでもいいし、レンタルもできて無料。
    電動も何台か用意されてたけど、慣れてないので自力車を借りた。


    コース地図をもらい、4箇所のスタンプラリーで順番は自由。
    全部スタンプ押してもらい時間内にゴールしたら、オリジナル付箋がもらえます。
    欲しいものでもなかったので、リサイクル環境公園は行かず、カフェでゆっくりお昼ごはん食べてたけど、おまけでくださった。
    ご希望とあればプレゼントしますよ。



    10時にスタートして、順番通り「いずみの国歴史観」へ向かった。
    住宅街も坂だらけ、わが街守口と大違い。
    和泉市がこんな起伏にとんだ丘陵地とは思いもよらなかった。



    桃山学院大学の立派な構内を突っ切る坂道は、自転車押して上がった。


    スタンプもらって、さらっと歴史館展示物見て、
    再出発の時間を記録するため建物と時計を撮影 10:25

    ここから坂を上がったり下ったりで、久保惣美術館到着。


    写真撮ろうとしたら、ちょうど無料バスツアーの観光バスが到着しどんどん人が降りてくる。
    難波集合だったので小一時間かかったのかな。

    展示は特別展で、「土佐派と住吉派-やまと絵の荘重と軽妙」
    これも不得意分野でさらっと見ただけ。
    庭も立派な美術館で、昔の和泉ってお金持ちやったんやなと驚きでした。

    数年前に弥生時代の遺跡行ったのも和泉市だった。
    2014-08-05 池上曽根遺跡と弥生文化博物館

    久保惣美術館を後にする時に撮影 11:16


    すぐ近くの空き地で、市民祭りのような賑わいがあり、そこで100円で豚汁食べたら元気がでた。

    次向かうのは松尾寺、きっと坂道続くに違いないもの。
    和泉に松尾寺があるなんて全く知らなかったけど、槇尾山の施福寺まで山の中ではなさそう。

    やっと11:39松尾寺バス停の楠に到着。



    この大木が、昨日サイクリング中に画像送信した楠です。


    松尾って、若狭の青葉山にある松尾寺しか知らなかった。
    京都の嵐山には松尾大社がある。
    一緒なのは松尾という名前だけなんだろうか・・・

    続く


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    和泉・松尾寺の山門です。
    紅葉はこれから見ごろを迎えそうです。


    普通に山門から入って参拝されるには、
    土曜日は古寺を歩こう が詳しいです。


    私たちはチャリがあるので、第3駐車場へと向かいました。
    参拝順を逆にご紹介します。


    松尾寺バス停の際に立つ大楠をみて、少し行くと立て看板。
    画像に書き入れた赤線矢印に沿って進みました。


    かなりの階段参道、この下でレンタサイクル停めずに、第3駐車場まで急坂を押して上がるの大変だった。

    やっと駐車場入口にスタンプを押す係の人が見えた。
    ボランティアガイドさんもいて、どこから来たのという問いかけからローカル話題で盛り上がり写真撮るチャンスを逸しました。


    裏から入ったので、まず春日神社にご挨拶。


    本堂のところまで行くと、またまたおっちゃんガイドさんが寄ってこられ案内してくださった。


    松尾寺
    天武元年(672年)役行者が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を自ら刻んで安置したことにより開基と伝わる。
    南北朝から室町時代にかけ最も栄え、寺領7,000石、寺坊308、僧兵数千人を擁して山岳寺院を城郭化している。
    その後、織田信長によって全山焼き討ちにされ現在の規模になった。


    信長の焼き討ちの直前に、長諭(ちょうゆ)和尚が寺宝百数十点を運び出し難を逃れた寺宝が現存しているそうです。
    その和尚の功績を伝えるために造立された碑。


    金堂は慶長7年(1602年)豊臣秀頼の寄進により、四天王寺の阿弥陀堂を移築。


    隙間から覗いてみると内は暗かったけど、たった一つの明かりでお前立の如意輪観音像のお顔がはっきり見えました。

    ネットで拾ってきた内の様子

    普段は扉が閉じてますが、毎年4月18日のみの開扉されます。


    三天堂
    穀聚三天、他に松尾明神、三所権現をお祀りしているそうです。


    有名な山門のところに来て、





    軽快な動きのある持国天と増長天です。
    境内側の方はからっぽ、どなたもおられません。
    元は広目天と多聞天がおられたらしいのですが、焼失したわけではないのに、いつの間にか消えてどこへ行ったかも不明だそうです。


    おっちゃんガイドさんが上に上がって文殊さん拝んどいでと。



    文殊菩薩像はとても美しく神々しかった。
    ちょっと撮影ためらったけど、普段は中に入れないようなのでこの機会にとシャッター押させていただきました。


    鉄の急な階段はさびててちょっと不安でした。



    さらにまた階段降りると、首堂(こうべどう)


    源義経が源平一ノ谷合戦(約800年前)に戦死した将士の首舟一艘を当寺に送りこの地に葬り亡魂の菩提をねんごろに弔いました。他の二艘は堺の港寺と大阪の四天王寺に納められました。

    舟一艘てんこもりの首と聞いて、首堂に手を合わせはしても中は覗かなかった。

    左手の地蔵堂のお地蔵さまが、やけに悲しげだった。


    階段参道は108段あるそうです。

    役行者開基のあと、泰澄が中興し、空海も滞在してて天台宗と真言宗ともに学べるスゴイお寺だったようです。

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    学生時代、応援団でチアガールしてました。
    うちらが15代で、その下の16代、さらに下17代の3学年に渡るメンツの同窓会案内届きました。

    ちょうど「大神山神社奥宮43年前に行ってた」で昔の写真紹介したばかり。
    呼び寄せましたかしら。

    二代下の幹事さんから届いたメールには、調整さんのリンク貼ってありました。
    このサイトで希望日を入力するんですね〜
    どなたも初体験でワクワクのコメント残されてます。
    まだのひと、早く返事してね。