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不思議だなと思う心 間違い探しが苦にならない これがものの鑑定に役立ちます
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  • 10/09/18--04:51: 今朝の人参



  • 水栽培とは関係ないのですが、


    尋常じゃない太さになってる。
    小さな四角い緑のプラスチック鉢のは底から根が出たようで、プランターの土に根付いて動かせない。



    手前の金のなる木の折れたり摘んだりした枝先を、適当に土に挿してたものでした。

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    8月の終わり頃から露地物すだちがお安くなる。
    料理に絞り果汁かけるだけでなく、飲み水にも絞って入れてます。

    2年前にハワイ島行った時、レストランで出される水には必ずライム半分輪切りが添えてあった。
    オシャレなだけでなく、ビタミンも摂取できてこれはいいと、あれ以来、すだちが出回る季節は真似てます。

    250cc程度の小ジョッキにすだち一個絞るのが目安。
    もともと柑橘類はどれも好きですが、すだちの清々しい香りと風味は心身ともに浄化してくれそうな気がしてました。

    でも今秋は特に利尿作用がハンパない。
    他に思い当たる食べ物や薬サプリメントの摂取はない。
    すだち水に違いないと、すだちの利尿作用で調べたら、やっぱりクエン酸が利尿と浄血作用に効果あることがわかった。

    ついでに知ったことには、すだちは大麻比古神社裏山の原木が発祥らしい。

    さらに、すだち固有の成分として、スダチチン、デメトキシスダチチンという二種のフラボンが発見されてるようだ。
    果汁だけでいつも捨ててた果皮に含まれるんだって。
    どんな作用があるか試してみたくて、輪切り蜂蜜漬けを作ってみた。



    明朝食べるの楽しみ(๑・̑◡・̑๑)



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    薬師如来の左手の上に、薬壺の代わりにぶどうがのってるなんてめずらしい。
    山梨県甲州市勝沼町にある大善寺のぶどう薬師は秘仏なので、五年に一度の御開帳が、
    ちょうどいま平成30年10月1日~14日、あと3日お目にかかれます。



    国宝の薬師堂の厨子の中に安置された国指定重要文化財の薬師三尊像で、日光・月光菩薩と共にいらっしゃるそうです。


    大善寺のサイトによれば
    養老二年(AD718)僧行基が甲斐の国を 訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました。
    行基はその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、今日の柏尾山大善寺です。
    以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が 栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと 伝えられています。



    薬師如来は病気を治すということで、古くから信仰を集めてきましたし、日本各地に本尊とするお寺たくさんあると思います。
    一番古いのが奈良の薬師寺です。



    しかし薬師如来像はインドでは造像例が見いだせず、中国でも隋唐時代以前には、わずか一例があるだけらしい。

    マニ教は、694年中国に伝来したとされ、
    唐の時代には、景教(ネストリウス派キリスト教)・祆教(ゾロアスター教)と共に、摩尼教(明教)が三夷教ないし三夷寺と呼ばれていた、と高校時代の世界史で習いました。
    試験に出るから単語として覚えていただけですけど。

    日本の薬師寺はもともと、680年(天武9)に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため発願し藤原京に創建されて、平城遷都に伴って718年(養老2)に現在地(奈良市西ノ京町)に移されました。


    仏教経典一切経七千余巻の中で、薬師経の記述には、インド以外の要素が多いそうです。
    「続命法」などに見られる善悪応報説と閻魔の審判はイラン起源。
    それに記される7層の灯明は、オリエントの占星術世界観を継承していて、明らかにインドより西方の文化の影響を受けていることをうかがわせ、東方にあるとされる薬師仏の浄土が西方起源を示しています。




    2010年9月下旬、マニ教『宇宙図』国内に現存してたというニュースが報道されたようですが、当時目に留まることはなかった。



    上部中央に光の王と呼ばれる天使が描かれ、
    左下に月、右下に太陽を配置して、さらにその下には七曜や十二宮などからなる天界を表します。

    薬師如来の脇侍として、日光、月光の両菩薩がいることから、薬師が天上界の仏であることは明らか。


    マニ教とは、サーサーン朝ペルシャのマニ(216年 - 276年または277年)が開祖。
    パルティア帝国の末期に、メソポタミア平原南部のバビロニア地方ユーフラテス川沿いのマルディーヌー村で、パルティア貴族の父パテーグと、パルティア王族カムサラガーン家出身の母マルヤムとの間に生まれ、パルティアの貴公子という出自であった。

    マニが12歳のとき、初めて神の啓示を受ける。
    そのころにササン朝ペルシャは建国で226年で( 滅亡 651年)、当初、ユダヤ教・キリスト教に対し比較的寛容であったが、そのいっぽうでゾロアスター教を国教と定めた。

    24歳のときに2回目の啓示をうけたマニは、新しい教団の設立を決意しマニ教を開教。
    バビロニア、ペルシアから船でインドにわたり、北西インドから中央アジア地方にかけての伝道の旅から始めた。
    やがてササン朝ペルシャのシャープール1世兄弟を改宗させ重用されたが、次世代バハラーム1世のもとでゾロアスター教以外のユダヤ教・キリスト教に続きマニ教もまた迫害されるようになる。
    276年ゾロアスターの大マグ(僧侶)のカルティールに陥れられたマニは、王命により召喚を受けて投獄され死刑に処せられた。



    民族も宗教もいり混じるバビロニアで、混とんとした3世紀に生まれたマニ教は、諸教混交がマニ教の特徴となりました。

    布教する先々で、各地ごとに布教目的で柔軟に用語や教義を変相させていったため、普遍的な世界宗教へと発展した反面、教義の一貫性は必ずしも保持されなくて、生き延びることができなかったそうです。

    奈良時代までに日本にもたらされたマニ教は、きっと薬師信仰となり、今なお日本人に根付いてるのだと思います。

    薬師さんとぶどう、不思議に見える取り合わせは全然不思議じゃなかった。
    薬師信仰の起源は、ササン朝ペルシアのマニを開祖とするマニ教と繋がってると思います。



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    四国お遍路第75番札所善通寺の御本尊薬師如来像です。
    ネットでいただいてきました。
    撮影禁止ですし、当時はお参りについていくのに必死でほとんど写真残ってない。
    2003年4月に始めた四国お遍路は、2004年7月満願。
    月に一度四国への旅は、日帰りバスツアーだったり、歩き遍路ツアー参加だったり、自分の車で行ったり臨機応変に。
    要した全費用は35万円ほどだったかな。
    供養でも懺悔でもなくスタンプラリーみたいなと軽いノリで、参詣したお寺の名前すら覚えてるとこは少ない。


    タイトルの御真言は、薬師如来さまに唱えるマントラです。
    なんで覚えてるんだろうと過去の記憶遡ってみたときに、四国でいっぱい唱えたからに違いないと。

    四国お遍路88カ所では、本堂でそのお寺の御本尊さまに挨拶し、続いて弘法大師を祀る大師堂でお札を納めます。
    空海には、南無大師遍照金剛と三回、そして光明真言も。
    オンアボキャア ベイシャロノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタラウン

    何度も何度も唱えたらそりゃ覚えますわね。

    そして、薬師如来さまにには、
    オンコロコロ センダリマトウギソワカ


    どれぐらい唱えたか調べてみたら、88箇所で一番多く祀られてる御本尊さまが薬師如来さまだったのです。
    ざっと数えてみたら24カ寺、4分の一を超えてる、そりゃぁ覚えが悪くとも記憶に残るはずやわ。
    一番最後に一覧を記しておきます。


    そうした薬師如来を祀るお寺の中で、記憶に残ってるのが善通寺、空海が生まれたとこです。
    お遍路初期の頃は、ここが一番札所だったのが、江戸時代以降、徳島から四国に入るのが一般的になったのか、順番がかわったようです。



    御朱印帖みたけど日付入ってないです。
    最後は一泊2日で香川県回ったのが2004年7/16に完了。
    そこから判断して、4か5月だったのでしょう。
    善通寺では、宿坊で泊めていただいたので、翌朝朝勤行に参列させてもらえ、戒壇めぐりもしました。


    この画像も善通寺のサイトより
    朝勤行はお大師さまをおまつりする御影堂で行われます。宿坊参籠者をはじめ、近隣の人たちが朝のすがすがしい空気の中で祈りをささげます。また、あわせて法主の御法話を拝聴できます。




    この世とは、お釈迦様が生れた古代インドを中心とする現世、
    言い換えると、釈迦如来が衆生を救済する釈迦浄土。

    東方は、太陽が昇る方角で、薬師如来がいる瑠璃光浄土(るりこうじょうど)。
    西方は、太陽が沈む方角で、阿弥陀如来がいる西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)
    北方は、ヒマラヤ山脈のはるか上にあり、弥勒菩薩が修行している兜率天(とそつてん)。
    南方は、はるか海のかなたにある、観音菩薩が住んでいる補陀落山(ふだらくさん)


    第127代管長高田好胤の「薬師寺・好胤説法」より
    オんom は、(南無 お願いします)、
    コロコロ(欣快:きんかいなる)
    センダリ(チャーンダラ)、マトウギ(マータンギー)病気を取り除いてくれる女神の名称、
    ソワカ(成就)、をとなえて、薬師如来様にご縁をもらう


    四国八十八ヶ所のお遍路では各札所の本堂と大師堂でお経を奉納します。
    各札所にある大師堂は弘法大師が祀られ、本堂にはそれぞれ御本尊が安置されています。
    本堂の前ではそれぞれのご本尊に合わせて真言を唱えます。
    でも覚えてないので、本堂正面の柱とか見えやすい場所に張り紙されてる真言を三度読み上げるのです。
    http://henro88.net/040mamechishiki/gohonzon.html

    大日如来
    第4番・大日寺 第28番・大日寺 第42番・仏木寺 第60番・横峰寺 第61番・香園寺 第72番・曼荼羅寺

    阿弥陀如来
    第2番・極楽寺 第7番・十楽寺 第30番・善楽寺 第37番・岩本寺 第47番・八坂寺 第53番・円明寺 第57番・栄福寺 第64番・前神寺 第68番・神恵院 第78番・郷照寺

    釈迦如来
    第1番・霊山寺 第3番・金泉寺 第49番・浄土寺 第73番・出釈迦寺

    涅槃釈迦如来
    第9番・法輪寺

    薬師如来四国霊場で一番多い本尊
    第6番・安楽寺 第11番・藤井寺 第15番・国分寺 第18番・恩山寺 第22番・平等寺 第26番・金剛頂寺 第33番・雪蹊寺 第34番・種間寺 第35番・清瀧寺 第37番・岩本寺 第39番・延光寺 第40番・観自在寺 第46番・浄瑠璃寺 第50番・繁多寺 第51番・石手寺 第59番・国分寺 第67番・大興寺 第74番・甲山寺 第75番・善通寺 第76番・金倉寺 第77番・道隆寺 第88番・大窪寺

    厄除薬師如来
    第23番・薬王寺

    七仏薬師如来い)
    第17番・井戸寺

    大通智勝如来
    第55番・南光坊

    聖観世音菩薩
    第37番・岩本寺 第69番・観音寺 第83番・一宮寺 第85番・八栗寺 第87番・長尾寺

    千手観世音菩薩
    第8番・熊谷寺 第10番・切幡寺 第16番・観音寺 第29番・国分寺 第43番・明石寺 第58番・仙遊寺 第66番・雲辺寺 第71番・弥谷寺 第81番・白峯寺 第82番・根香寺

    三面千手観世音菩薩
    第38番・金剛福寺

    十一面観世音菩薩
    第13番・大日寺 第27番・神峯寺 第32番・禅師峰寺 第41番・龍光寺 第44番・大宝寺 第48番・西林寺 第52番・太山寺 第62番・宝寿寺 第65番・三角寺 第79番・天皇寺 第84番・屋島寺 第86番・志度寺

    十一面千手観世音菩薩
    第80番・国分寺(讃岐)

    馬頭観世音菩薩
    第70番・本山寺

    地蔵菩薩
    第20番・鶴林寺 第37番・岩本寺 第56番・泰山寺

    延命地蔵菩薩
    第19番・立江寺 第25番・津照寺

    勝軍地蔵菩薩
    第5番・地蔵寺

    虚空蔵菩薩
    第12番・焼山寺 第21番・太龍寺 第24番・最御崎寺

    弥勒菩薩
    第14番・常楽寺

    文殊菩薩
    第31番・竹林寺

    不動明王
    第37番・岩本寺 第45番・岩屋寺 第54番・延命寺

    波切不動明王
    第36番・青龍寺

    毘沙聞天
    第63番・吉祥寺

    * 第37番・岩本寺は、不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、助贈菩薩の5体を本尊として祀っています

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    大枝神社秋祭り宵宮午前の獅子講終わりました。

    台風21号の暴風で集会所の屋根が飛んだことは、台風通過後すぐに記事にしました。
    枝が折れて妙にスッキリしたクスノキ。
    枝ぶりがちゃんと見えるようになり、こんなにクネクネしてたのは分からんかった。




    もう一本稲荷社前にも立ってますが、あちらはスッと伸びた枝。

    なんか磁場の狂いみたいなのがあるのかな。






    獅子講で巡行してる途中で水分補給休憩があります。



    この休憩場所のお向かいのお家に




    賢そうなふくろうがいました。



    ただ鳥に出会っただけなのに、なんか嬉しくなった。
    2年前に亡くなったギズモをシャープにした感じで懐かしい。

    ふくろうのオレンジ色の光彩みただけでパワーもらった感じ。

    午後2時から地車曳行で、今日は一万歩ではすまないでしょう。


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    差し入れで頂いたけど、日持ちしないから早よ食べんとあかんと娘にもらった。

    カヌレ堂のカヌレって知る人ぞ知る有名なフランスのお菓子だって。
    カヌレ堂のあるとこから遠くで暮らしてる訳でもないのに、世代的に遠くて知らんかった。
    外カリカリ、中もちもち、いろんな風味が楽しめました。


    10/7から中之島のgrafさんで




    AOI MATSUKURA exhibition vol.4


    4回目の展示即売会、おかげさまで大盛況らしいです。
    昨日の日曜日は展示期間中日で、展示を変えて追加したと聞いてます。
    次の日曜10/21が最終日、本人在店予定です。

    この差し入れにいただいたカヌレと娘の作品と、どこか似てるような気もする。
    こだわりあって、ちょっと小洒落てて、心安い価格帯で…
    知ってる人は知ってるけれど…


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    ご近所で咲いてる菊探したら、
    とりあえず見つけれた。
    種類は分からないけど、葉っぱが菊だと思う。




    24節気72侯の菊花開くころ
    今朝のキッチングリーンは



    すくすく育ってます。


    週末に祭りで町内まわってると


    台風21号で被害受けたイチョウ街路樹、今年の紅葉は期待できない。
    けど、新芽が出ててうれしくなる。





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    先だってより薬師信仰について思いを馳せてて、ふと思い出したこと。
    京都の六道珍皇寺は薬師如来が本尊で、脇侍に日光菩薩と月光菩薩がおられた。
    本堂にあげていただいて間近で拝謁できて、画像はないけど心のシャッター切ってたから。

    西国33箇所の清水寺の次に六波羅蜜寺へ行く途中でお参りしたのだった。
    2011-04-29
    あの世とこの世の境に建つ六道珍皇寺と小野篁&16番清水寺


    御朱印スタンプマニアではないけど、
    なんでか、急に思い立ってその朱印帳最後に、六道珍皇寺の朱印賜ったんだった。

    おそらく朱印押してもらって以来の確認でした。
    間違いなく御本尊は薬師如来だった。


    2006年6月に第1番札所那智の青岸渡寺で購入して朱印賜ったのが最初。



    そしてついでにペラペラと印刷部分見て驚いた。


    ご真言に薬師如来のオンコロコロないやん!
    観音さんばっかり‼️

    しばらくしてやっと気づいた。
    西国33箇所観音霊場巡りだったんだ。

    2006年6月から2017年9月に終えるまで、なんと11年3ヶ月もの間、私は何に手を合わせてるか全く意識してなかったんだろう。

    お恥ずかしいを通り越して呆れてしまった。

    この度、薬師信仰と観音信仰に興味持ってやっと目に留まり、脳に引っかかったのでした。

    物見遊山おそるべし、
    いやおそるべからず、かな。
    ちっとは記憶してて突然線繋がることもある。






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    10月中旬わずか5日間の間に3日も宴席続きで悲喜こもごも。

    例年秋には親睦旅行に出かける同業者組合ですが、今年は諸般事情により中止。
    天満橋OMMビルの楽待庵での宴席になった。



    大川の川崎橋がよく見えるロケーション。
    天神祭の花火真正面の上席ですね。
    今度はその時に来たいものです。

    神無月懐石コース料理の〆が、焼秋刀魚と茸の釜炊きご飯だった。
    秋刀魚とご飯は美味しいけれど、いつも口の中で混ざってたのが、釜飯で食べる前からドッキングは初めて。



    昨日、観音さんの日は、飲み仲間と居酒屋で


    太刀魚、一人ふた切れづつ。
    銀色の皮がめくれやすい太刀魚、こんなふうに焼くといいんだと初めて知った。

    太刀魚って、産卵が6月〜10月2シーズンにわたり、10月は産卵多くて脂のってるらしい。


    そして最後に、めでたい鯛料理



    アーモンドアイが三冠とったのをTV視聴した10/14、夕刻から保護司会会長の瑞宝双光章受章祝賀会でした。


    一般的に鯛の旬は春だとされていますが、
    春の鯛よりむしろ“紅葉(もみじ)鯛”と呼ばれる秋の鯛が良いと言う瀬戸内の漁師もいるとか。
    まぁどちらにしても、ホテルの宴席に出る鯛料理は、違いは分からん。
    洋風アレンジがなるほどなぁと。


    ご馳走続きで福沢諭吉も飛んで行き、その分体重はきっと元とってると思う。
    恐ろしくて計測できてない。



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    大枝神社の本殿とお稲荷さんの間に小さな社があり、東照大権現と貼り紙あります。
    いつも順番に3箇所でご挨拶してますが、なんでここに東照大権現が祀られてるんだろうと思ってた。

    2017/7/1 夏越大払えで黒猫にあうの記事で位置関係わかります。





    今朝の新聞で

    先の台風21号で高潮が20-25キロも遡ってたって。

    この地図の淀川という表記矢印あたり、川の流れが北東から急に北に変わってるのが分かると思います。
    実際に堤防歩くとカキーンと曲がってるのに驚いて記事残したぐらいですから。

    2013/1/14 とうとうと流れる淀川、実は
    2014/3/8 まむ多の楠どらと茨田堤


    時代は安土桃山時代、本能寺の変(1582年)
    堺に滞在してたという徳川家康は、佃島の漁民の助けを借りて逃れたので、その漁民たちを江戸へ移住させて佃島。

    詳しい経路は明らかになってるか確認してませんが、私の妄想。
    佃の漁師たちに案内してもらって、堺から淀川の守口あたりまで船で来て上陸したんではないかと。
    というのは、淀川をさかのぼる船は海からの西風を利用するも、守口の湾曲部では西風が逆風になって、船の進行を妨げます。

    川を上るときは、ガタロウという人足を雇って船を岸から引っ張るんだそうです。
    今の動力時代からは想像もつかない、淀川水運における難所だったのです。

    昼間にそんなたいそうなことしてたら見つかります。
    きっと家康一行は、守口で上陸して、大枝神社あたりで夜になるのを待って、暗闇に紛れて今の163号線を通り、交野、木津から、伊賀へ抜けたんではないかと想像します。
    それとも国道25号線を通ったとなれば、天武天皇の壬申の乱の道ですから、のちの薬師信仰に繋がります。


    その時に匿ってもらったお礼に金一封とか神社寄進とか、
    家康公ゆかりの東照宮祠があるのでないかと。

    大枝神社に東照大権現が、たとえ小さな祠と言えどもずっと祀られてるのか、その理由は淀川の湾曲にあったのではないかと思います。


    前々からそう思ってて、今朝の新聞で地図見て、これは記事書きなさいという先ぶれだと。


    家康は「自分の死後一周忌を過ぎてから下野日光に小さき堂を建て勧請し、関八州(日本のこと)の鎮守にせよ」と遺言したと伝わり、それが日光東照宮。

    天海和尚などの働きにより、後水尾天皇の勅許によって朝廷より「東照大権現」の名を賜わり、東照宮に祭祀された。
    徳川家康は薬師如来の仮の姿が日本に現れたものとし、神仏習合の形をとり神社神道形式で祭祀が行われる。

    本地(本来の姿)は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師瑠璃光如来であるとしたものです。

    大名に東照宮を建立することを半ば強制し、全国の五百社を超える東照宮が作られたそうだ。
    そのときに、守口の大枝にも?

    その後明治維新、第二次世界大戦などを経て、日本の国体は「東照大権現」によって護られなかったのか?
    それでも、町の小さな神社の境内社として今なお残ってるという現実。



    少し前から薬師信仰について調べてて、
    東照大権現に繋がり、薬師信仰は、薬師寺や国分寺建立の天武天皇の時代へと繋がってく。

    ココまでくるともう手に負えなくなって、唐突にこの項を終えることにします。



    今日の午前中に環境調整の面接があって、約束の時間までに大枝神社へ寄って写真撮ろうとした。

    すると、なんと、ダンジリが運搬車に乗せられるとこに遭遇。





    大枝の地車も11年を過ぎてあちこち傷みました。
    半年間かけて解体補修され洗いにかけられるんだそうです。
    お墓や仏壇みたいに御しょうねん抜いて…と伺いました。

    今晩またもや、お疲れさん会の宴会
    呼んでもらえて、うれしいけど…