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不思議だなと思う心間違い探しが苦にならないこれがものの鑑定に役立ちます

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    角引きまわしの雨戸、今のパーティションに応用されてますね。



    戸締りの板の工夫も斬新。



    炉端の鍋などを吊るす竹筒の高さ調節がスゴイ。


    動画でないとその工夫を文章で説明できないです。



    特別に案内して下さった湯屋、浴殿。
    湯船に浸かるのは嘘で江戸時代は蒸気風呂で、湯で体を洗い流した時に流れる床板の傾斜が絶妙。

    その他にもいっぱい紹介して下さったけど、画像ないので割愛。
    土壇場とか切羽詰まるという意味も聞いたのに…

    TVで見る時代劇の時代考証は全く間違ってると憤慨されてました。

    飛騨の匠といえば、うちにも40年程使ってる食卓あります。

    普段四角が、二段になった天板の下板を左右でスライドさせると長方形6人がけに。
    天板裏に日進木工(株)の住所が高山市桐生と印字された紙まだ貼られてありました。





    先の記事で紹介した、真向き兎は釘隠しで、高山陣屋建物内で150箇所もあるらしい。
    あのデフォルメされた兎見て思い出したのは、大神神社の「なでうさぎ」





    真向き兎の意味は3つほどあるらしいけど、もっと深い意味あるかもしれませんね。



    飛騨の匠とは
    奈良時代の大宝律令で、飛騨国は優れた木工集団「飛騨の匠」を派遣する見返りとして、租・庸・調のうち、庸・調という税が免ぜられたのが、飛騨から都へ人材を派遣するという「飛騨の匠」制度の始まり。
    薬師寺・法隆寺夢殿・東大寺など幾多の神社仏閣の建立に関わり、平城京・平安京の造営に活躍して日本建築史の黄金時代の一翼を担ったそうです。

    戦国時代、豊臣秀吉の命を受けて飛騨入りした金森長近(ながちか)は、高山城や国分寺などを再興し高山のまち造りを始めた。
    江戸時代になり、飛騨の豊富な森林資源に目をつけた徳川幕府は元禄五年(1692)金森家を出羽に移封し、幕領とした。加賀百万石の前田家を見張る意味もあった。
    そうして、高山陣屋に郡代や代官が派遣され、現代に残る唯一の陣屋に。



    いつか高山行かれることあれば、陣屋の見学はとても興味深いですし、時間が許せばガイドさんの説明あるともっと興味持てます。
    外人観光客は、庭が見える代官や奥さんの部屋でごろんと横になり数時間が寛ぐそうです。
    今の日本人以上に贅沢な観光の仕方のように思えます。







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  • 03/21/18--16:49: 飛騨の酒


  • 飛騨高山の旅に一緒に連れだった高校からの3人組は、駅弁と買うのはお茶じゃなくて缶ビールのタイプ。
    だから部屋飲みように、道の駅やら土産ものやで購入した飛騨の酒。
    一番飲みやすかったのは、白真弓でした。




    旅の二日目、宮川朝市で購入した酒粕、たまたま見かけて酒造も酒名も全く知らなかった。
    家に帰り、オーブントースターで焼いて食べて見たら超美味しい。



    創業元禄八年に惹かれて調べてみた。
    「二木酒造が酒造りを創めたのは元禄8年(1695年)、飛騨の地が幕府直轄地になり、幕府から高山城破却の命令が出された頃。もとは石川県に住んでいたことから、屋号は「加賀屋」となっておりますが、様々な文化が育まれる飛騨に移り住むようになり、現在古い町並みと呼ばれる高山市上二之町にて蔵を構え酒造りを始め、その酒造り一筋に今日の十五代目まで続く飛騨高山の酒蔵の中でも老舗の造り酒屋となっております。」





    古い町は時間がなくて、上三之町を通っただけ。



    機会があれば買いたいお酒「玉ノ井」


    「玉ノ井 吟醸 原酒」は、飛騨の恵まれた米や水を活かし、精米歩合60%に精米した酒米を使用し低温でじっくりと発酵させる造りにより生まれたお酒を加水せずに火入れのみ行い瓶詰めした一品。特有の吟醸香は力強く漂い、口に含むと濃く厚みある味わいが口の中に広がります



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    去年春から行きたいと思ってました。
    水量の少ない春の数か月だけ、那智の滝の上に広がる那智原生林に入山できます。

    もうすぐ行く予定で、いろいろ調査中。
    今週半ばは低気圧通過で最悪なお天気でしたが、来週はなんとか晴れそうな感じ。
    桜の満開見れるかな~


    上の地図は画像として載せましたが、デジタル地図としてみるために、
    「ルートをブログやWebサイトに貼り付ける」という機能で
    HTMLコードをブログに貼り付けてください。
    なお、ブログサービスによっては対応していない場合があります。
    やっぱり↓ あかんかった

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    万博記念公園の太陽の塔の内覧が行われていて、足を運んだ知人のFB投稿記事でも見ました。

    今朝はTV番組で中継してました。

    塔の右側手の部分はかつて空中展示へと続くエスカレータがあったそうです。

    少し前からコメント欄でりひとさんと太陽の塔についてやりとりしてました。
    裏側太陽の塔はスサノオを表し、両腕に伸びるヒゲのようなデザインが、真榊の剣でもあると。


    2014/8/14 イルミナイト万博、8/17まで




    2013/3/10 万博梅まつり と 「ふれあいの日」無料デー



    その腕の中がこんな風になってたんだと興味深く視聴しました。

    と同時に真榊が気になって、ググってみた。
    数年前に記事にしたときは、「真榊の左のほうの剣」の意味が分からないままスルーしてたから。



    真榊(まさかき)とは、神事の場で祭壇の左右に立てる祭具のことでした。


    神棚の前両側にお供えする真榊は向かって右に鏡と玉、左に剣を下げます。


    地鎮祭のような神事でも飾られたり、


    神社の祭りの時なども社殿の左右一対が飾られます。




    これは、神話の天の岩戸開きに由来してるそうです。

    <伊藤龍涯筆・神宮微古館所蔵>

    天照大御神に出てきていただこうと天の岩戸を開こうとしたとき、天の香具山の五百津真賢木を根こじにこじて、上枝に八尺の勾璁の五百津の御すまるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣、青和幣を取り垂でて、
    この種々の物は、布刀玉命が神聖な御幣として捧げ持ったところから神様をお呼び出しになるときには榊をささげるようになった
    ゆえに本榊(真榊)には神が宿るとされています。




    太陽の塔の正面、第一の顔(黄金の顔)は塔の名前そのものズバリで天照大神

    第二の顔(太陽の顔)は、
    「生命の木=真榊の真ん中に掛けられた鏡が岩戸から顔を覗かせた天照大神の姿を映した八咫の鏡=歴史的人物、つまりヒトとしての皇祖天照大神を象徴し、太陽の塔の胴体部分のヒトとしての顔を意味している、らしいです。

    真榊右側の方、


    そして後ろから見たのが真榊左の方が
    第三の顔(黒い太陽)
    「天照大御神が岩戸に隠れる原因になった弟の素戔嗚尊。この場合、真榊の写真の左のほうの剣が吊り下がっている方をイメージしている。(その証拠に顔の周りに髪の毛とひげがあり、ひげの一部が両腕の部分にまでつきだしていることで真榊の左の方の剣を表現している)このオカルト的解釈は、剣は神を殺して岩戸に隠れさせることができるが、神に至る道ではないということ。」
    引用元はこちら






    太陽の塔の中には生命の木が 生命の進化を表現したオブジェとなり中心に据えられています。
    上まで行くと、生命の木が途中で切れているらしいです。

    「そのあとは未来の人が作る」というメッセージが込められているんだとか。




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    ふだん数百歩以内しか歩かない日がほとんどで、上がった階段数だって二階程度。
    それが今日は69階‼️



    熊野那智の滝は1の滝で、その上に那智原始林が広がり、2の滝、3の滝と48滝あるそうです。



    ここまで行くには、
    熊野那智大社で正式参拝でお祓い受けてから入山します。
    たまたま代表玉串奉納の係をさせてもらえました。


    左右に真榊ありますね。
    今までもずっとそこにあったというのに、知らないときは目にも留まりませんでした。




    本殿の第一は、伊邪那美命ですって。
    昨日参拝した熊野本宮大社がスサノオで、熊野速玉大社がイザナギで、那智大社がイザナミだと、語り部ガイドさんから聞きました。
    正式参拝後に拝殿裏の聖域に入らせてもらえまして説明受けましたが、その時の神職の方も正殿は第四殿熊野夫須美神、イザナミだと。



    桜もこんなに綺麗に咲いたのは久しぶりだとのこと。
    いい時に参拝できました。

    沢渡りのトレッキングは画像確かめて、家についてから。


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    3/25-26熊野三山巡ってきました。
    1月に那智原始林神秘ウォークのツアー申込した時は、桜にはちょっと早いだろうと思ってました。
    ところが先週の冷たい雨や雪から急激に春が来て、紀伊半島の桜開花が早まりました。

    行く先々で桜が満開寸前の7、8分咲を楽しめて桜紀行のよう。






    車窓からも




    河畔に整列した桜は人工的に植えられたおそらくソメイヨシノ?

    熊野川沿いの山の中で所々で野生の桜が見られました。



    語り部ガイドさんにお聞きしたところ、これが今話題のクマノザクラ。
    くまのさとさくら、ぐらいの命名にしとけばいいのに、だって。

    地元ではボケ桜と呼んでたそうです。
    秋と春に二回も咲いてボケとるということから。

    で、それでググったら2011/4/18の高野山からのニュースで
    「ボケ桜」が咲いています」

    正式な名前はわからないのですが、「ボケ桜」と呼ばれるサクラが持明院の入り口に咲いています。
    このサクラ、春と秋の2回花を咲かせることから「ボケ桜」と呼ばれているそうで、たしかに高野山でもまだ他のサクラは全然咲いていないのに、これだけ咲いています。 変わり者、と言うか、目立ちたがり屋、と言うか、、、、。 ちょっとここだけ異世界な雰囲気です。


    ほんの数年前までボケてるといわれてたのに、今や立派にクマノザクラ‼️
    いつ人生急変するかわからないように、桜も、ね。


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    沢渡が一番面白かったので、ズラズラ画像貼り付けます。
    御神域ですが、アドベンチャーワールド最高のアクティビティでした。









    35名参加で3つのグループに分かれ、それぞれガイドさんに案内されて歩きました。
    いくら足置くところを指示され、慎重であっても滑る時は滑る。

    うちらのグループでは一人が腰近くまで、一人は膝下まで水に浸かりました。
    流石に人の不幸を撮影したらあかんでしょと、画像なし。


    で、私の場合は

    11:22撮影
    3の滝に無事着いた時は、少し右足に浸水あり。

    ところが、帰りになって



    経年劣化によりゴムソールがパッカリ剥がれてきて応急処置。
    このワラは、飛騨の里でもらったのを持ってきてた。




    きっと沢渡りで滑るに違いないと思ってたら、
    まさか靴劣化で役立つとは(⌒-⌒; )




    無事にgood jobはたした靴は



    終点のお茶屋さんのゴミ箱に捨てさせてもらった。
    沢渡のために持参したもので、履いていった靴あったから。

    2006年1月にインドの街歩いたのち、12年間も箱の中で長く冬眠してました。



    インドでヨガ

    モロッコのサハラ砂漠でラクダに乗ったし、インドも歩いたし、
    最後の最後に那智原始林で清流に清められ、靴の一生終えました。


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    あとで画像貼り付けます

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    まさかこんな急な展開、
    思いもよらないことが次々と。

    熊野の旅行記途中ですけど、記録残しておきます。




    習近平さんてこんな顔だったっけ?


    ロケットマンだってちょっと雰囲気ちゃうんちゃう?



    ついでに、いつも思ってることなんですけど


    NHKの女子アナの洋服って日本人離れしてる。
    今晩の色目もスゴイなぁ〜
    お里はどこなんだろうと思ってしまう。



    この方は特に?もって注視しようと思うけど、あまり視界に入れたくない。

    ブラタモリの近江アナはカワイイのに、4/21からバトンタッチするようです。







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    南方熊楠がコケやシダ類、粘菌を収集した地です。
    鬱蒼としてますがお天気に恵まれた午前中の陽射しが入りこんで怖くはありませんでした。


    水は透明で清らか、空気はキレイ、しかし足元から目を離すと危険が伴います。




    3の滝目指して10:10頃に入山し、







    急坂登って降り沢に出る。
    4箇所沢渡して、2の滝に11時ごろ、






    3の滝へはさらに急坂で45度はありそう。
    荷物置いて行ったほうがバランス崩さず安全かもと言われたぐらい。
    最後に沢壁面ギリギリを岩にへばりついてカニ歩き。



    一番スゴイとこは撮影どころじゃない。
    足滑らした方もいて、アンラッキーな様子は撮影できない。



    3の滝に11:20到着

    三途の川、賽の河原やないねんからと、積み上げられた石を、
    鬼の形相で蹴飛ばす語り部ガイドさん。



    つづく



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    那智原始林で見かけた境界と彫られた石柱。
    ちょっとこの先行くのはばかられる。

    魔界との境界?なんて軽い気持ちでガイドさんに尋ねたら、
    この辺は那智大社と国有地とかがいりくんでるから、とのことでした。






    那智原始林のイラストマップ、


    三の滝の上に「花山法皇在所跡 松の丘」と記されてあります。




    西国33か所は、長谷寺開山の徳道上人が718年開創したもので、今年2018年で草創1300年キャンペーンしてます。

    花山天皇(968- 1008年)は、退位、出家して花山院となり、この那智山で参籠していた折に熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けた、とされます。

    その花山院を「かざん」と読むことを、この度の記事書くにあたり初めて知りました。




    西国33か所は、1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。
    海外からの特に白人の参拝客をたくさん見かけたし、TVでも熊野古道を歩く欧米人が増えたと言ってました。

    熊野古道を歩くウォーキングツアーは数々催行されてますが、外人はガイドもなしで数人で歩いてたりします。

    時代は遡り、1000年前も花山院とかが歩いて熊野行ったんですね。



    花山院は、那智の大滝の上流にある3の滝付近で庵を結び千日の修行をされた。
    那智での修行中には、天狗が現われ修行の邪魔をしたので、安倍晴明を呼び寄せ、天狗の妨害を防ぐよう命じた。
    そこで、晴明は岩屋に多くの天狗たちを封じ込めて祈祷したおかげで花山院は無事に千日の修行を終えることができた。
    というエピソードを知りました。

    花山法皇(968~1008)
    安倍晴明(921~1005)

    なんと同じ時代でした。
    興味を持ったので、花山天皇を調べてみました。


    花山天皇は、生後10ヶ月で皇太子に立ち17歳の若さで即位された。
    しかし、寵愛していた女御が亡くなると政治への関心を急速に失っていかれました。

    摂関政治全盛期で有名な藤原道長の父、兼家は3男で道長の兄の道兼に命じて、花山天皇に出家をたきつけます。
    「出家して菩提を弔って差し上げるのがよろしいでしょう。私もお供して世を捨てます」
    まんまと罠に嵌められて、天皇だけ出家させられるという前代未聞の大珍事。
    花山天皇には子供がいなかったので、兼家の娘が産んだ懐仁親王が皇太子になっていた。
    出家・退位して、先の円融天皇の子・懐仁親王が一条天皇として即位、わずか7才。
    こうして藤原兼家が一条天皇の外戚、摂政となり兼家の家系は全盛期を迎えます。

    これを寛和の変(986年)という


    妻1:藤原時姫(藤原中正の娘)
    長男:藤原道隆(953-995)
    三男:藤原道兼(961-995)
    五男:藤原道長(966-1028)
    長女:藤原超子(954?-982)冷泉天皇女御、三条天皇生母
    三女:藤原詮子(東三条院)(962-1001)円融天皇女御、一条天皇生母

    妻2:藤原倫寧の娘=道綱の母:蜻蛉日記の作者だった 
    次男:藤原道綱 

    他にも妻いましたが割愛



    花山天皇と安倍晴明とのエピソードは他にもいろいろありました。

    花山天皇が退位するという予兆を見て急いで参内し報告しようとしたが、既に天皇は寺へ向かっており、時既に遅し。
    大鏡の花山院の段にあるそうですが、これは後世の読み物です。
    実際は、安倍晴明は予言ではなく、当時の情報網の中枢近くに居たことで情報を得ていたのではともいわれています。

    追われるように京を発ち、熊野に向かった花山法皇。
    いよいよ那智に入って、

    石走る滝にまがいて那智の山高嶺を見れば花の白雲


    二人とも、前世では大峰(吉野と熊野を結ぶ修験の山々)の行者だったと伝えられています。


    その後、花山院は992年ころに帰京するも、僧籍にありながら好色ぶりはすさまじく大勢の女性と関係をもったようです。
    そこからまた次の騒動を生み、藤原道長の時代へと進んでいきます。

    藤原道長は、円融天皇女御で一条天皇生母である藤原詮子の弟で、かわいがられていたため、藤原兼家亡き後、お鉢が回ってきたようです。


    波乱万丈の一生を送られた花山院、熊野と深くかかわられた不思議な存在でした。

    青岸渡寺、参拝三度目にしてやっと気づいた花山院の逸話でした。


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    本殿瑞垣の第四殿前のしだれざくら
    今年はことのほか美しいと神職さんのご案内で言われてました。
    後白河法皇お手植えとも伝えられ、室町時代の「那智山宮曼荼羅」にも描かれているそうです。
    花弁が小さく上品な姿は上臈(女官)の雰囲気を醸し出していると。


    那智原始林に入山する前に、那智大社で正式参拝でお祓い受けた後、神職さんが本殿瑞垣内に案内してくださいました。
    ちょうど社殿の創建1700年で拝殿の屋根を修復中で、覆いがあるため写真撮影難しい。




    烏石(からすいし)
    神武天皇が熊野から大和へ入られたときに道案内した「八咫烏」が、その大任を終えて帰りここに姿を消し石と化したと伝わります。


    話聞きながら、ふと下を見ると、ハート形白石が光ってた。



    ご祭神の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)または夫須美神(ふすみのかみ)
    「牟須美」は「結」とも書かれるようです。

    今回が3度目の参拝となりますが、今まであまり深く認識することなくお参りしてました。






    この度、語り部ガイドさん、神職さんの説明を受けてなるほど、と。
    ハートの石まで呼びかけてきたし。

    那智の滝は女性で、神倉神社のゴトビキ岩は男性で、
    なるほど~
    熊野速玉大神・熊野夫須美大神は、熊野版のイザナギ・イザナミということができると→熊野三山の主神について



    ず~っと古代から、この地では
    熊野速玉大神と熊野夫須美大神は、自分達を生み出した「親神」ということで崇められてきたのでしょう。

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    那智の滝は、高さ133m、銚子口幅13m、滝壺の深さ10m以上。
    立派です。
    日本一の滝といわれるだけあって、姿も美しい。
    この日はそこそこの水量あって、お天気も暑くもなく寒くもなく、大勢の参拝客でにぎわっていました。

    もちろん外人さんもたくさん見かけました。
    中国語を話す若者二人、イケメンではなかったけど、おみくじ引いてオーバーアクションしながら動画撮影してたのが面白かった。
    たぶんユーチューバーだと思います。
    那智の滝見てきた!とかで投稿するんでしょう。



    飛瀧神社(ひろうじんじゃ)は、那智大滝を大己貴命の現れたる御神体としてお祀りされています。
    300円払うとさらに近くまで行くことができます。



    2006-06-12に初めて那智の滝見たときの画像は

    オーブいっぱい写ってて、たぶん飛沫なんでしょうけど、記憶に残る画像です。
    あれから12年、体重は5㎏以上、健康診断でもいろんな数値増えて…。




    光ヶ峯遥拝石


    那智の滝と対面するような位置にあります。
    遥拝ということはどちらを向いてるんだろうと気になってました。

    光ヶ峯は、那智大社・青岸渡寺から見れば真東の方向にあり、春分の日には光ヶ峰から日が昇ると書いてありました。


    西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら)(現在の那智の浜)に上陸されました。一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされました。
    その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨され、御滝本にお祀りしておりましたが、仁徳天皇5年(317年)山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷しこれが熊野那智大社の始まり




    光ヶ峯(標高685.5m)は、那智三峰(大雲取山、烏帽子山、光ヶ峯)のひとつで、那智権現が天下った山とされる。
    「紀伊国名所図絵」には「神光を放ちしによりて。光ヶ峯と名づけし」と記されている。

    ということで、グーグルのFlood Mapsで確認してみました。



    神武天皇の時代ということで、海抜を+9mにしました。

    新宮の熊野速玉大社は、神倉神社を元宮とするということで、あのゴトビキ岩に神が降臨したというのも納得です。

    詳しくは→熊野三山の主神について で



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    今朝はちょっと曇ってたから、イマイチですが。

    少し前は朝日がキラキラしてもっと赤く燃えて素晴らしかった。
    朝の通勤途中で撮影タイミングが折り合わなくて。

    やはり桜同様、例年より少し早い。




    デンマークカクタス(カニサボテン)

    なぜか蕾が開かずどんどん落ちて、春が来て、我慢強く残ってたいくつか。
    今ごろにして花開いた。

    この冬は、金のなる木も全く蕾すらつけなかった。
    いつもと同じようにしてたのに、なんでかな。
    寒さが例年より厳しく、突然暑い春がやってきて、桜の早い一斉満開はスゴイけど植物も順応に苦労してるのかしら。




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    外国人が選ぶ春に訪れたい日本の名所・絶景・世界遺産ベスト40から出題SP
    昨夜TV春の特番で19時から3時間近く興味深く視聴してました。
    どこ行っても外人観光客増えたのをまさに実感してましたから。

    ベスト31〜40からスタートして、最後のベスト10が揃ったところで撮影したかったのに、第1位富士山のが画面が写ってた。

    そして今朝になって、10位までを思い出そうとしたら、
    伏見稲荷大社、金閣寺、道頓堀、大阪城、
    名古屋城、
    東京は浅草寺に秋葉原、
    これで8つ、あと2つが思い出せなくてググったら、ちゃんとアップされてた。
    北海道のニセコと小樽でした。

    詳しくは→こちらで




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    熊野の那智のところどころで見かけました。
    変わった形の花だなとガイドさんに尋ねたら、


    こんな風に花咲いてると、下向いた花を持ち上げて、和紙の原料となるミツマタだと。

    秋に里山歩いてて、ミツマタは枝が三つに分かれていると教えてもらったことはありました。
    しかし花の咲く季節は初めてです。

    那智原始林を歩くグループ割で私たちは昔のお嬢さんグループ。
    ブログ見た人に女性多いなと言われた理由です。
    その中に、書道家がいらして和紙に詳しくて、吉野の和紙が一番いいのと言われてました。

    熊野三山の3つのお宮さん、熊野本宮大社、熊野速玉大社、那智大社それぞれに牛王神符号があります。



    私は熊野本宮大社で賜わりましたが、昔は和紙に牛黄と墨で描かれたそうです。
    そんなこんなで和紙は昔から作られてたのでしょう。




    語り部ガイドさん自作の杖が立派で触らせてもらったら、軽くてちょっとしなりがあって。
    なんの木か聞いたのに思い出せない。

    最後に珍しい椿、名前はなんでしょうね。




    めっちゃ美味しかった三宝柑、
    味がわからんから2個しか買わなかった。



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    今朝気づきました☆彡
    寒かった冬にも屋外で葉っぱ次々枯らしながら。
    えらいなぁ。




    ふと視線感じたら、見られてた。
    この野良ちゃんも、冬を越したのね。




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    ネットで画像拾ってきました。
    ドラゴンボールの亀仙人が持ってた杖、
    水戸黄門、松尾芭蕉、良寛和尚らが使ったとされてたのは、
    アカザ(藜)の杖でした。





    那智原始林を案内してくださった語り部ガイドさんの杖が、何かどうしても思い出せなくて、気になって、直接問い合わせたらすぐにお返事くださった。

    「あの杖は 木ではありません 一年草です 
    アカザ シロザの2種類が有ります
    10cm位に 伸びたときに湯がいて 酢?油で食べると美味しいですよ ほうれん草のお浸しの様に

    中国の仙人が 持っている杖が シロザの杖です
    私の杖も シロザの杖です
    軽くて丈夫です
    消耗品で 毎年作ってます 殆どは食べてしまいまいますが」


    現代の日本では、アカザの杖ばっかりヒットしました。

    アカザを調べてみると、アカザは雑草で
    「アカザを観賞用に育てる人はいないです。どうしても植えるということは大抵「杖目的」です。肥沃な土と日当たりがあれば太い杖用のアカザが作れます。曲がらないように支柱をします。しかし、早い時期に台風が来るとダメ。

    アカザはシロザの変種でシロザは幹が細く杖には適していません。若芽の時(5月~6月)なら色で判別できますが、その後は分かりづらいです。
    ●ユーザーの投稿によりますとシロザでも「NK化成」「尿素」を追肥すると太い茎になり杖になるそうです。」
    詳しくは→ こちらで



    ということは、語り部さんはシロザを苦心して太い茎になるように育てられてるのでしょうね、きっと。

    熊野、那智を訪れる機会があれば
    熊野古道探訪プロジェクト がお役に立つと思います。






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    ご近所の庭で先週から濃いピンクの花が咲きこぼれてました。



    mari さんのブログで見たベニバナトキワマンサクかと思ってた。

    マンサクって黄色い花だと思ってたので、ネット検索しててちょっと違うか?

    こちらの庭にはもう一本濃いピンクの花が咲いてるの。



    幹の木肌も葉っぱも違う。
    よくよく見れば、こっちがトキワマンサクで、最初のは菊桃か?

    今回特に興味持ったのは、マンサクのことでした。

    つづく


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    昨日お出かけから戻ったら、桜花賞出走10分ほど前だった。
    どの馬が出るのかも知らなかったけど、たまたまアーモンドアイという名前が気に入ってバーチャル馬券買った気になる。
    ゲートがあいたら、ビリから2番目、あかんなぁ〜

    ところが最後のコーナー曲がったら突然後ろから怒涛のごとく疾走してくる馬がいる。
    なんとアーモンドアイ




    週末は、マンサクからハシバミを調べてて、
    ハシバミ色の瞳、ヘーゼルアイが頭に残ってるところへアーモンドアイだったというだけですけど。

    いま旬なので、この切り口から本日の話題に入ることにしたので、ストーリーは逆に後ろから。


    若い頃翻訳小説読んでたら、ハシバミ色の瞳という響きだけで魅せられたものでした。
    多分、ロミオとジュリエットに出てきて、その後の小説に影響与えたワードだと思います。

    そのハシバミ、漢字では榛、太古からの蓄積出土する花粉で一番多いらしいです。
    世界のあちこちで自生してたのでしょう。
    木の実ヘーゼルナッツはもちろん美味しいですけど、その枝がまた役に立つらしい。
    強くて軽くてしなりもあって、杖にも向くらしく、魔女の杖と書かれてありました。
    ググってみたら、ハリーポッターでは、
    ハシバミの杖の所有者はシビル・トレローニー

    杖にハシバミが使われると杖は繊細となり、常に持ち主の気持ちを読み取る。自らの感情を理解し制御できる主人のもとで最も力を発揮する。所有者が悪感情を抱いたり、悲しみ続けたりすると杖がそれを吸収して突然放出する恐れがあるため取り扱いには注意が必要である。
    しかしハシバミ長所の他に細かな欠点がある。ハシバミは熟練した魔法使いの高度な魔術にも対応し、とても忠実に働くため所有者の人生の終わりには魔力を使い果たし“しおれ”てしまうのである(芯にユニコーンの毛を使っている場合杖は完全に「死んで」しまう)。
    ハシバミの杖には地下の水を感知する能力があり、泉や井戸を通り過ぎると銀色の涙形の煙のパフを放出する。



    で、ここからマンサクの英語名ウィッチヘーゼルは、なぜこうなったのかという最初の疑問に繋がります。

    ハシバミの雄花


    ハシバミの雌花


    マンサクは



    どこが似てて、ウィッチヘーゼルと名付けられたのか?


    続きは明日PCで


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