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不思議だなと思う心間違い探しが苦にならないこれがものの鑑定に役立ちます

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    前半35分経過したところで駅前見に行きました。
    守口市サッカー連盟が500名は集めたいと事前に聞いてたから。

    今日は父の日で近隣小学校が参観日、
    サッカー好きは他の日に参観日設定して欲しかったでしょうね。
    日曜午前中に日本がかかわるビッグな試合、この先もそうそう無いでしょう。

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  • 06/16/14--05:54: 天満界隈の焼肉番長


  • Mさんのお誕生日を祝って焼肉という企画、ご本人来れなくて
    とりあえず行こうと、昨日午後天満界隈案内してもらいました。

    ヘビーな下町にちょっとビックリ。
    天満卸売市場の先にその焼肉やさんがありました。
    カキを焼いて食べさせてくれる店や、イタリアンなどいろいろ並んでます。

    ビニールカーテンがしきりです。
    炭焼き七輪がテーブルにセットされますが、排気は上々でけぶってません。

    午後1時過ぎから3時間以上、昼間はビール半額に乗せられて、… 。
    ビール飲み過ぎて頭痛くなったのは初めてのこと (≧∇≦)
    飲んで食べて、さすがに夕食も食べれませんでした。


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    唐津からフェリーで印通寺港について、バスで15分ぐらいで原の辻一支国王都復元公園に到着。



    想像以上に平たな地が広がっていました。
    現在は農漁業で100%自給自足できてるそうです。

    バスガイドさんの説明を受けてから自由見学。
    ツアー41名のうちほとんど女性しか写っていませんが、今回は男性客多いなという印象でした。
    60代のご夫婦に混じって男性だけのグループも見かけました。
    唐津のホテルでは千葉からのお客さんと一緒で、なんとバス2台の人気ツアーのようです。
    今、壱岐は人気観光地なんですね。






    ここから宗教的ゾーンの区切りに木が二本立てられ、上に鳥が居ます。
    まさに鳥居ですね。


    黄色い花が咲き乱れ、オオキンケイギクと聞きました。
    これって外来種であちこちに広がって在来種を全滅させるのですよね?

    ガイドさんの左横遠景に、山の上に白い建物が見えます。



    一支国博物館です。
    入場料わずか400円、団体なら320円。
    限られた滞在時間ゆえ、他の見学削ってでも個人で来てたら絶対行くのにね。


    原の辻遺跡は、今から約2000年前の弥生時代に栄えた多重の環濠を持つ集落です。
    魏志倭人伝に記された国の中で、唯一、国の場所と王都の位置の両方が特定されているのがココ、原の辻遺跡です。

    公園の散策見学終えてバスの乗る前に見たのは


    最初に気付いてたら、もっと慎重に歩いたと思う。



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    午前中サポートセンターの当番が午後1時まで。
    1時半には4中で、薬物防止教室の打合せあります。
    で、近くのローソンへお弁当買いに行ったらありました!

    今日のは、青森産帆立のちらし寿司。
    税込530円です。





    サポートセンターは5階にあるので見晴いいです。
    北向いたベランダから淀川越しに高槻方面を撮影しました。

    たぶん盛夏には西北に淀川の花火見えるかも。


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  • 06/21/14--01:37: 背中の一本線
  • ギリシャ戦勝てませんでした。
    相手は一人退場してたのにね。
    残念。

    この前のコートジボワール戦から気になってるけど、ユニフォームの背中の一本線、
    洗濯とかではげてるように見えました。
    最初から筆で書いたようにデザインしてたとは(≧∇≦)

    「円陣」をコンセプトにしたユニフォームの背面には、全ユニフォームの象徴である「結束の一本線」を継承。
    毛筆で書かれた一本線は、選手とサポーターの強い絆と勝利への強い想いを表現したもので、
    選手がピッチ上で「円陣」を組んだ際にひとつの大きな輪となるようにデザインされています。


    説明聞くとへぇ〜そうだったのか、
    でも何にも知らないものが見ると、なんか背中に落武者みたいな変なもの背負わされてるような。

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    朝起きたら雨でした。
    午前9時、友人からどうする〜って電話ありました。
    午後から晴れることを願って強行出発となりました。

    梅田でぐるっとパス¥1500購入したら、阪急の駅どこでも途中下車可能。

    服部天神で下車して、足の神様服部天神宮にお参りし、妙見口に着いたら雨上がってました。

    お昼ご飯先に済ませて、ケーブル、リフト乗り継ぎ妙見山へ。
    雨に濡れた紫陽花もきれいでしたが、とても静かでうぐいすや鳥の鳴き声だけが響き渡ってました。

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    日曜日朝のうちは雨だったので、カメラレンズに水滴付いてたのでしょうか。
    画像を見ると上に青いドームのような覆いのように写っていました。



    能勢電鉄の妙見口ついたのが11時半ごろだったので、駅前で食事して
    そこから歩くこと20分ほどで黒川ケーブル駅に着きました。



    ちょうど12:20発のケーブルが発車寸前だったので乗り込みました。



    5分ほどで山上駅に着き、妙見の森ふれあい広場をつっきるとリフト


    両側にあじさいが植わっていて、もうすぐ満開です。






    10分は乗ったでしょうか、とても長い時間に感じました。
    鳥の鳴き声が響き渡るだの静けさがエアポケットに落ちたかのよう。

    妙見山駅についてしばらく歩くと、ブナ林がありました。




    この二つの木は違った種が合体してるようです
    が、もっとスンゴイブナ林を想像してました。

    元の参道に戻り少し歩くと、やっと妙見さんの鳥居


    参道をまた少し行くと、星嶺「せいれい」に度肝を抜かされた。




    高松伸京都大学教授設計による信徒会館だそうです。


    いよいよ山門



    山門が大阪府と兵庫県の府県境にあります。


    つづく



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  • 06/25/14--03:10: それぞれの寝姿
  • 日曜に使ったリュックを干してあったのを取り入れて置いてたら、
    バッグ好きのギズモまたもちゃっかりベッドにしてる。



    一方もぐちゃんは、なぜか後脚すっと伸ばして、変な猫。

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    里山ぐるっとパスでシール式の開運お守り札がもらえました。

    もともと能勢電鉄は能勢の妙見さんにお参りするひとのために開通したらしいです。
    そういう歴史もあって、鉄道のお得なレールパスにサービスとして付くのですね。


    出会いの鐘を鳴らそうというオリエンテーリングもありました。




    山門くぐると想像以上にこじんまりしてました。






    日蓮宗のお寺ですが鳥居があります。
    明治の廃仏毀釈でかつての神仏習合のなごりでしょう。

    現在は北の方角にある眞如寺というお寺の飛び地境内となっており、
    正式には「無漏山眞如寺境外 仏堂能勢妙見山」です。

    能勢妙見山の始まりは、1603年(慶長8年)、能勢頼次公によります。

    能勢地方は、領主能勢氏が妙見山の日蓮宗に帰依した際 領民にもそれを強制したので『能勢のいやいや法華』と呼ばれるとか。


    能勢氏と妙見山の歴史は→こちら


    妙見さんって、北斗星・北極星の信仰に始まる星を祀る信仰だと思ってました。
    だからこちらの印も星のようなのかと。
    しかしどう見ても十字架クロスに見えてしまうなぁ〜

    江戸期以降の能勢氏の家紋は『切竹矢筈十字』(能勢妙見山と同一)



    津本陽さんの「下天は夢か」20年以上前にベストセラーなったときに読みました。
    織田信長が、朝廷の権威をものともしなかったこと、
    そしてあらゆる宗教勢力と戦ったことがとても印象的でした。

    一向一揆、比叡山焼き討ち、石山本願寺の顕如など歴史で習いました。
    そしてキリスト教の布教も着実に根を下ろしていたのです。

    現在放映中のNHK大河ドラマ、黒田官兵衛は荒木村重の有岡城の牢獄から助け出されました。
    あの時代、摂津はかなりキリスト教が普及していたように描かれています。
    キリシタン大名の高山右近はもちろん、明智光秀の娘・珠(たま)は細川ガラシャ名のキリシタンで有名です。

    摂津も能勢もキリスト教徒が多かったのです。
    キリスト教禁止に伴い、頼次は能勢一帯の神社仏閣を日蓮宗に改宗させました。
    頼次は能勢妙見山を篤く信奉していたことから、
    領民に対する改宗の強要も強引なもので『能勢のいやいや法華』の言葉が伝わります。
    しかし、隠れキリシタンも多く居て長崎地方をしのぐ数の隠れキリシタンの遺物が発見されているそうです。

    能勢氏の家紋『切竹矢筈十字』もやっぱりクリスチャン?

    *宣教師フロイスの「日本史」には、能勢一族の中で洗礼を受けた者の記録があり、フロイス自身が妙見山の北東の集落まで来て洗礼させたとのことです。


    織田信長の時代、摂津国能勢郷を領していた能勢氏の祖は、清和源氏源頼光。
    大江山の鬼退治で有名な頼光は、清和天皇の曾孫に当たる多田満仲の長子。
    その子頼国の時に能勢に移住し、以来能勢を氏としたと伝えられています。

    一方明智家も同じ流れです。

    能勢地方は、明智光秀の亀岡もめっちゃ近いです。
    そして関係も深かったのでした。
    本能寺の変では明智方についたため、豊臣秀吉に神社仏閣に至るまでことごとく焼き払われます。

    備前まで落ち延び日蓮宗のお寺に落ち着きます。
    家康が京都の実相寺という日蓮宗寺院で休憩した時、たまたま実相寺の住職が能勢頼次の弟でした。
    こうした縁で、頼次は家康に召し抱えられることになり、関ヶ原の戦いで徳川軍として大きい戦功を立てます。
    その功により家康からかつての能勢氏の旧所領を回復されました。

    こうして、能勢の妙見さんが開基されることとなりました。


    妙見菩薩は天部の神であり、北極星を神格化したものです。
    災厄を防ぎ、福運を招く霊験があるとされています。

    能勢氏の家鎮として古くから祀られていた「鎮宅霊符神」を法華経のご守護神「妙見大菩薩」として祀られるようになったのです。

    ときすでにキリスト教の布教に逆風が吹いていました。
    1587年 豊臣秀吉によるバテレン追放令
    1612年及び1613年 江戸幕府によるキリスト教禁止令

    こうした時代背景の中で、能勢氏は生き延びたのでした。
    『能勢のいやいや法華』『切竹矢筈十字』はつながってますね。


    時代はうんとさかのぼりますが、奈良時代の行基さんがこの山開かれたのでした。
    行基が大空寺を建てられたのが、当時の為楽山(現在の妙見山)の山頂666mだとか。


    妙見山のすぐ北隣には、歌垣山もあります。
    万葉の時代より男女が集まり「歌合わせ=かがい」が行われた山で、
    関東地方の筑波山、九州地方の杵島岳と並ぶ歌垣三山のひとつです。

    能勢ってなんか深〜い歴史のある所でした。

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    今日は金曜日、日曜日に出かけてすでに5日たつとかなり忘れてます。
    何時に出発とかあのときは時計確認したのに、すでに忘却のかなたです。



    雨が上がればなんとか歩けそうだと、
    地図をみて一番近そうな新滝道を下ることにしました。

    けっこう急な階段で、少し暗いのも気になるけど歩き始め5分ほど行って、
    視界が開けたところで、びっくり仰天、鹿がいました。


    昼ごはんを食べた能勢電鉄妙見口駅前の食堂で、店の人とお客さんが最近いのしし出た話されてました。

    鹿ならまだいいけど、猪でたらどう逃げるか話しながらまたもどんどん下る。


    下れど下れど視界が開けた地には出ません。
    小川に沿った渓道なもので足元あまりよくなくて、昨夜からの雨で濡れてる所はすべるし。
    どこかに腰をおろして、ムカデとかに遭うのもいやだった。



    階段や坂を下るのは膝にきます。



    能勢妙見山公式サイトには、この新滝道は昔の参道だと書かれてありました。
    だから、廃屋やこうした石碑が所々で見られるのですね。


    ケーブル黒川駅の右側から登山道に入り、ほぼケーブルに沿って急な通が続くが、きわめて登りやすく、六百六十メートルの山頂へは最も近道で、約一時間半弱のコース。
    谷川のせせらぎを聞きながら、夏季には赤いツリフネの花を見ることが出来る。


    20分ほど下ったところで、下から上がってくるおっちゃんに会いました。
    両手にウォーキングポールを持って軽快に歩かれる同世代の様子。
    あとどれぐらいでしょうと尋ねると、もう少しですよと言われた。

    しかしこれからあと30分は歩いたのだった。



    やっと雄滝行場の鳥居
    上り口側から見ると




    スズメバチに注意と書かれてて肝冷やす。

    また少し下ると、立派な社殿が見えた。


    これがNさんの実家、白滝稲荷神社なんですね。
    もう足痛くて、さらに階段参道下ってお参りする気力体力はなかった。

    すると、宅配便のお兄さんが重そうな荷物下げて登って来られた。


    いつもこんな風に配達するのですかと聞くと、
    いやぁ〜初めてなんですよ〜
    この先に休憩所みたいなのありましたかと逆に尋ねられた。
    「たまや」さんって言うんですけどね。

    さぁて、あの雄滝行場のことなんだろうか??



    この鳥居をくぐったら、宅配便業者のトラックが見えた。


    まぁなんと、あんな所から荷物下げてこられたんだ…。

    ケーブルの駅にやっとついて、時間を見たら50分経過してた。
    のぼりならもっと時間かかって1時間半というのも納得するほどの急な坂道だった。

    休憩する場所もなく、さらに能勢電鉄の駅目指して歩く。



    やっと休憩ベンチが見つかったので、里山の景色を眺めながら一息いれる。

    また歩き出すとたまやさんがあった。


    あの宅配便のお兄ちゃん、ケーブル駅から上と下、まちがったんじゃあないの??


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    去年、大阪府薬物乱用防止指導員の委嘱を受けて、
    担当したのは、「いのちのまつり」という絵本の朗読でした。
    今年はわずか15分ほどですが話さないといけません。

    会場は守口市第四中学校で、来月3日の6時間目です。

    先だっての脱法ハーブの悲惨な交通事故のニュース、きっと中学生も見聞きしていることでしょう。
    話の導入部分、きっかけにしたいと思っています。



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  • 06/29/14--03:59: 堺仁徳陵と自由都市
  • 堺市博物館行ってきました。
    グッドタイミングで12分間のビデオ放映が始まるところに入場できました。
    空から見た古墳群、大阪南部の地形とかよくわかりました。
    入場料わずか200円で立派な施設でした。



    1669年、東インド会社のモンタヌス日本誌の挿絵として用いられた地図。
    オランダのラテン語学校の校長先生の書いた本 です。

    堺 Sacay
    Meaco 京のみやこ
    Tamba 丹波
    FArima 播磨
    Vigo 備後

    そのようにオランダ人には聞こえてたのでしょうね、興味深いです。



    公式キャラクターは、サカイタケル くん




    堺市博物館見学後、仁徳陵にご挨拶。
    やっぱりデカかった。

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  • 06/30/14--04:16: 百舌鳥八幡宮の大楠
  • 堺市博物館のある大山公園からJR阪和線の線路越えて東へ少し行くと
    百舌鳥八幡宮があるのを地図見て発見したので寄ってみました。








    樹齢700〜800年ぐらいらしいです。
    あまりに立派でぐるぐるまわってました。
    本殿では結婚式挙式中でした。

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    一番古いのって法隆寺かと思ってた。
    堺市博物館でみた観音菩薩立像です。
    手は違う木だったようでなくなっていました。

    百舌鳥の地に伝わった日本最古・最大の白檀仏だそうです。
    元々は円通寺に祀られていましたがいつから寺に伝来したのかは不明。
    円通寺がどこにあるのか地図検索したら、百舌鳥八幡宮のすぐ近くでした。


    白檀は日本に生息せず、飛鳥時代の日本で彫り出された一木造りの像は樟だそうです。

    本像制作の時期や場所についても諸説あるようですが、6〜7世紀頃の作らしい。


    重文指定年月日:19900629

    1990年6月29日 ということは私が見学した同じ6/29の25年
    白檀とわかったのが遅かったのですね。

    詳しくは→ 文化遺産オンライン 


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    いのちのまつりこの絵本は小学校3年生の「道徳の副読本」に掲載されたそうです。そんなこともつゆしらず…。中学校の薬物乱用防止教室で、「いのちのまつり」の朗読の仕事が割り振られました。皆の...>続きを読む

    ↑ この記事は1年前を振り返ってみるという、gooブログの企画です。
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    今年の今日、7/3は、守口市第四中学校で、6時間目に中1対象に講習してきました。

    あなたたちの将来にわたり、健康と安全を心から願い、ロータリークラブと保護司会と更生保護女性会のメンバーが集いました。
    というところからスタートしました。

    教室で学んだことは、肝心なことはさておき、どうでもいい脇道に外れた話に限って覚えていたりする。
    という自分の体験から、いろんな話をぶちこんでおきました。
    何か一つでも印象残ってたらうれしいのですが。

    私はこの講師のチャンスをいただいたおかげで、パワーポイントが使えるようになりました。
    タバコについてはJTとかのサイトからデータや画像頂戴しスライドとさせてもらったり。
    必要とあらば、いくつになっても身につくもんですね。

    Hさんにスマホ撮影画像いただきました.

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    6月9日に行った壱岐の島、わずか5〜6時間の滞在でしたが、目に留まった景色の数々記録に残しておきます。



    唐津からフェリーで印通寺港に着いて、真っ先に向かったのが原の辻遺跡


    原の辻一支国王都復元公園を少しだけ散策した記録は
    原の辻遺跡の鳥居の原型

    続いて、島の右端八幡半島の左京鼻から玄界灘を望む





    はらほげ地蔵は潮の満ち引きで海中に水没したり現れたりするので
    お地蔵様のおなかをくりぬいた所にお供えするんだそうです。

    41名の団体ですから、限られた見学時間でシャッターチャンスは待ってられません。

    島の西側からは東シナ海が望めます。






    龍神さんが祀られた鳥居の右側ずっと先に対馬。
    60kmぐらい離れているそうで天気によって見えるときがあります。




    猿岩はこの角度から見ると猿の横顔ですが、反対側からは全くわかりません。
    一般的に何とかに見える岩とかいう名所はあまり好みではありません。

    トルコのカッパドキアへ行った時も、いろいろ名づけられた岩の前ごとに写真撮影スポットになってました。
    そのたびに観光バスが停車しますが、最後のほうは下車もしなかったことを同行のツレとよく語り草にします。


    古事記で日本大八島の一つとして登場する壱岐は
    「天比登都柱」天の一つ柱と名づけられています。
    日本の国づくり神話のルーツ、壱岐の島。
    最後に向かったのが月読神社でした。




    小さな社殿右横にさらに上に登る階段があり、磐座が祀られてました。

    この月読で賜った鈴のストラップはすでに記事にしました。
    今宵満月、壱岐の月夜神社で賜った水鈴のおと

    駆け足でそれも団体でざっと巡った壱岐の島でした。
    機会があれば、サイクリングもいいでしょうね。


    最後に、博多へ渡るフェリーからみた玄界灘の夕焼けです。


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    毎7月には夏祭り、10月は秋祭り。
    関わってる人にとっては、その年ごとに悲喜こもごもあるでしょうが、
    はたからみれば毎年同じ。

    なら載せなければいいんだけれど、公開日記といえども備忘録でもあるのであしからず。

    で、いつもと違う視点、切り口変えて。

    氏地を曳行するにあたり、1時間半ぐらいで休憩が設けられます。
    並走してる軽トラにはお茶やジュースが積み込まれています。





    子供たちはこの時とばかりにジュース選びます。
    大人はやっぱり麦茶で水分補給して、終わってからのビールが美味しく飲めるようにしてます。

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    台風8号の目、スゴイですね。
    七夕の朝、進路情報を気にしながらマニアックな参拝ツアーに出かけました。
    行き先は普段から雨の多い紀南ゆえ、長傘にカッパも用意して。
    ひょっとしたら雨が上がる可能性もあり、折畳傘にウォーキングステッキも入れました。

    天川村の天河弁財天、十津川の玉置神社、川湯温泉で宿泊して
    熊野本宮大社、神倉神社、熊野速玉大社、花の巌神社 と神社ばっかり。

    知り合いに声かけたけどどなたもウンと言ってもらえなかったのでツアーに一人参加しました。
    自分で車運転して行くにはかなりやばいとこだったからツアー見つけた時はヤッタ〜  (^○^)V


    二日目衝撃的な事件に遭遇したので、その神倉神社から





    先週金曜夜、関西ええとこという番組で、この神倉神社がたまたま放映されてました。
    538段のメッチャ急な石段がものすごく怖いそうです。

    夜中雨が降ったので、石段は濡れていました。
    滑るのでこれ以上気をつけれないぐらい緊張して上りました。



    ゴトビキ岩の大きさはものすごく巨大でした。
    ココに熊野大神が降臨したそうです。
    上から見下ろした新宮の街並みは絶景でした。




    火祭りではこの階段参道を氏子青年が駆け下りるのですって。

    急な石段を降りるのはもっと怖かったです。
    やっとあと数段で鳥居というところで、撮影してる人がいたので端によりました。
    そしたらテキメン張り詰めた神経が緩んで、広めで平べったい岩で足が滑りました。


    やばいと思ったところに鳥居の柱が受け止めてくれて抱きつきました。
    で難無きをえて、神様のご加護に感謝しました。


    ところが、私は無事おりてホッとしたのもつかの間、落ちた!という声が聞こえました。
    下にいた添乗員さんはすぐに上がって行かれました。
    間も無く消防のレスキュー隊、救急車、パトカーがやってきて …


    足を滑らした男性が数段滑り落ち、下にいた女性に玉突きとなり一緒に転がり落ちて、
    下の女性は何回か回転し階段脇の溝下でとまったものの、ということらしいです。
    付近でその現場に遭遇した方々は足がすくんで下まで降りるのはさぞかし怖かったことでしょう。

    私たちがバスに乗ってから怪我された二人は病院に搬送されました。
    おかげさまで命に別条はなかったそうですが検査を受けるため入院されました。
    神様のご加護で大事に至らずありがとうございます。
    後々後遺症などでませんように。


    昔モロッコからの帰りの飛行機がフランクフルト乗り換えで起こった事故を思い出しました。
    早朝タラップから降りる時に足を滑らし滑走路に落ちてしまった人がいました。
    あの時も救急車で搬送されて同行の奥さん共々一緒に帰国できませんでした。
    事故は思いも寄らない時におこり人ごとではありません。


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    今回のツアーのおすすめポイント3つは
    【神倉神社】60mの絶壁の上に鎮座。
      ご神体「ゴトビキ岩」は、熊野権現が最初に降臨したと伝わる巨岩。

    【玉置神社】霊峰・玉置山に鎮座し、境内には巨杉が立ち並びます。

    【花の窟神社】イザナミノミコトの墓所と記され、日本最古の神社といわれます。

    いつも書いてますけど、世界遺産めぐりのひとつが神社仏閣墓参りに教会。

    紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に認定されて丸10年の周年事業が7/7に行われていました。

    そのなかでもマニアックな神社ばっかりめぐる旅でした。
    いつか行きたいと思われてる方もおられると思いますので、ちょっと詳しくレポートしておきます。

    この旅から新しいコンパクトデジカメを使いました。
    超簡単ながらもどんな風に写っているのか楽しみでした。

    ここからの画像は、CASIO EXILIM EX-Z770 
    プレミアムオートの3Mで軽め設定で撮影したものを、
    さらにブログアップのためサイズ560x420と軽くしてあります。


    帰るときに撮影した画像なので、救急車や消防車が写っています。
    山の左に黄色い○で印した地点がご神体「ゴトビキ岩」です。
    肉眼ではズームしなくてもちゃんと見えてました。





    権現山(神倉山)とは神が権(かり)に現れる山という意味



    両部鳥居で、神仏混淆の神社に多く見られるそうです。
    ここからは登るのに精一杯で写真撮影どころではありません。

    やっと最後の鳥居に到着。






    そして帰りはもっと怖い。





    Wikiページによりますと
    神倉神社(かみくらじんじゃ、かんのくらじんじゃ)は和歌山県新宮市の神社。
    熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。
    境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。


    み熊野ネット より部分的に引用させてもらいます。

    自然石を組み合わせて積み重ねた急峻な石段は「鎌倉積み」といいます。
    建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したものと伝わる鎌倉時代の貴重な遺物です。
    石段は538段ありますが、急なところは上り口から中の地蔵までの200段まで、後は緩やかになります。

    ご神体のゴトビキとは熊野地方での方言でヒキガエルのこと。
    最も大きな巨岩の形がヒキガエルに似ているところから付けられたそうです。
    ゴトビキ岩の下からは弥生時代の銅鐸の破片が発掘されていて
    おそらく縄文時代の昔から、崇拝されていた場所であったと考えられるようです。

    毎年2月6日夜に行われる神倉神社の例大祭「お燈祭(おとうまつり)」は、
    勇壮な火祭として知られ、和歌山県の無形民族文化財に指定されています。
    白装束の男たちがあの急勾配の石段を火のついた松明を持って駈け降る荒々しい男の祭です。
    この日だけは神倉山は女人禁制になります。

    熊野は山岳宗教の中心地のひとつでありながら、女人禁制をとらず女性の参詣を積極的に受け入れました。
    当時、不浄とされていた女性の生理でさえも、熊野権現はいっこうに気にしないのだ、とさえ言われていました。

    蟻の熊野詣と言われるほど賑わったのに、室町時代になると院や貴族の参詣もなくなり熊野三山は経済的に苦境に。

    そこで、より多くの参詣者を集め、より多くの人々からの喜捨を集めるために、熊野信仰をより広めることが必要となりました。

    戦国時代の頃に熊野信仰の拡大のために大きな役割を果たしたのが、熊野比丘尼と呼ばれた僧形の女性芸能者たちです。
    彼女たちは熊野三山に属し、熊野信仰を広めながら各地を勧進(社殿の修理などのために寄附を集めること)して歩きました。
    彼女たちは、熊野牛王宝印(烏牛王ともいう)を売り、『観心十界曼荼羅(地獄極楽図とも熊野の絵ともいう)』や『那智参詣曼荼羅』などを絵解きし、熊野の聖なる土地としてのイメージを人々の心に浸透させていきました。



    なるほど〜 
    こうして熊野牛王宝印が誓約を書く証紙として日本各地に広がっていったのですね。

    2014-04-20 熊野もうで餅と熊野牛王

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