2014(平成26)年秋に発行された伊勢志摩キャンペーン誌「伊勢神話への旅」最終ページと裏表紙です。
伊勢志摩の地図と見開きで17ページに載ってる佐美長(さみなが)神社、初めて知りとても心惹かれました。
伊雑宮に参拝済ませてのち、800mほどの距離なので歩けなくはない。
でも鳥居近くで路駐できますよと伺い、車で向かうも最初は通り過ぎてしまった。
この石段下の鳥居近辺のどこにも佐美長神社を知らしめる標識はありませんでした。
玄松子さんのサイトでも、同じこと書かれてありました。
「磯部支所の前の信号の側にある。
注意していないと行き過ぎてしまうかもしれない。
玄松子は行きすぎて戻ってきた。」
「鳥居をくぐり階段を上ると境内だが、この階段は、昔から三十六段であるらしい。
一段が一旬を表しており、一旬は約十日間。
一カ月は、上旬・中旬・下旬の三十日間を表し、一年(大年)が三旬×十二カ月の三十六旬となる計算だとか。」
佐美長神社(さみながじんじゃ) 伊雑宮所管社
祭神は五穀豊穣の神、大歳神(おおとしのかみ)
古くから穂落社(ほおとしのやしろ)ともいわれている。
祭神が真名鶴となり、稲穂を運び落としたのが千田(ちだ・稲を生ずる地)であると伝えられている。
社地には小社殿ながら、伊雑宮所管社の佐美長御前神社四社
祭神は佐美長御前神(さみながのみまえのかみ)がご鎮座されている。
伝説では佐美長神社は、倭姫に稲穂のありかを教えた鶴を大歳神(おおとしかみ:ヒゲの生えた老人の姿の神様)として祭る神社だそうです。
伊雑宮と佐美長神社を結ぶ道を御幸道(ごこうみち)と言い、神が両神社を行き来する道であるとされます。
『磯部郷土史』によれば、倭姫命が天照大神を奉戴して志摩の地を遍歴した際に通った道であるという。
そしてこんな説も見ました。
「奈良時代から平安時代の804年より前に、伊雑宮に祀られていた天照大神・瀬織津姫2柱の祭神を天照大神1神のみの祭祀へ変更、さらに祭神名を変更し、同時に伊雑宮に祀られていた瀬織津姫のご神体を佐美長神社本社、或いは佐美長御前神社に祓戸4神として祀りなおしたもの、と推測される」
倭姫宮は、現在、内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどの倉田山に鎮座しお祀りされていますが、できたのは大正12年!
神宮の中ではきわめて新しくに御鎮座されたお宮さんです。
大正12年は、伊雑宮近くの倭姫宮旧跡地の楠木下から石棺が掘り出された年のことでありました。
参考にさせてもらったのは→こちら