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Channel: 秋麗(あきうらら)
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あの滝畑ダムの天神社はもと大梵天王社で、岩湧山ってキトラ山とも呼ばれる

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昨日午後、河内長野市の滝畑ダムに車転落の痛ましい事故ありました。
ちょうど1ヶ月前に槇尾山の施福寺へ西国33所の朱印賜りに参拝。
自分で運転して行ったのであの辺りの地図は何度も見ていて、槇尾山の東側にある滝畑ダムを覚えていました。



橋本市
 槇尾山・岩湧山・紀見峠コース(ダイヤモンドトレール)

いつかそのうち歩いてみたいと思って保存してました。

めねふねさんがコメントで、
「この辺の地理的、神社的なつながりなど、気がついたことあったら、なんでも教えて」
ということですので、知ってることにさらに調査加えてお知らせします。


滝畑ダムは心霊スポットというのが結構ヒットします。
ひょっとしたら霊に引き込まれたのか・・・なんて。

そういうスピ系はわからないので、歴史的背景を中心に今の時点で知りえたことを。


最初の画像をご覧いただくと、転落した橋の手前、ダムの左岸に天神社があります。

旧滝畑7ヶ村の氏神で旧名は大梵天王社であったそうです。

大阪府河内長野市滝畑731
北緯34度22分58.8秒 東経135度31分19.5秒

主祭神 天照皇大神、伊弉諾命、伊弉冉命
創建 不詳
本殿の様式  三間社流造
河内長野市指定文化財  鉄製湯釜 長禄4(1460年)製作


天神社で検索してると、あるブログ
「ここも河内長野(高向神社)と同じく富田林(美具久留御霊神社)の宮司さんが守っておられます
本殿後ろの森は神体山である
下を見下ろすと 滝畑ダムがはるか下に見えます
南東の方には 岩湧山茅場が頂上近くに白く帯を巻いたように見えます
滝畑地区では「キトラ山」と呼んで茅場を大事に守っておられます」


この文中のキトラ山に甚く反応しました。

キトラ山が岩湧山だって?
高校1年の春の遠足で行きましたが、当時キトラ山って知らんかった。

岩湧山は、地元では、キトラのカヤ山と呼んだ。
山麓一帯の岩盤が湧くように屹立する山容から岩湧山となった。






岩湧山頂一帯は別名『キトラ』と呼ばれる滝畑住民の区有地で、日本を代表するカヤ(茅、萱)の宝庫。
カヤは一般に屋根葺きや炭俵、スダレなどに使われるイネ科の多年草(ススキの一種)で、オンガヤとメンガヤに大別される。
オンガヤは平地に分布し太く固いが、メンガヤは主に山地に分布し細かく柔軟性に富んでいる。そのため、メンガヤは屋根葺きに適しているとされてきた。
キトラのカヤは、良質のメンガヤで、文化財建築物の屋根葺きに最適と認められている。
岩湧山茅山保全協議会では、このカヤを文化庁に提供すべくカヤ場の保全およびカヤの品質向上に努めている。

キトラって珍しい地名です。
飛鳥のキトラ古墳となんか関係あるのかな。
かつてのエントリー記事 → 2013-08-12 キトラ古墳




続いて気になったことは、大梵天王社の祭神
天照皇大神、伊弉諾命、伊弉冉命 

なんでかな。

大梵天王で調べてたら、み熊野ネットで
和歌山県田辺市神子浜 神楽神社(かぐらじんじゃ)

神子浜村の産土神で、もともとは大梵天王社(だいぼんてんのうやしろ)と呼ばれていました。
大梵天王とは梵天、古代インドの神ブラフマーを仏教が取り入れたもの。
明治4年に神仏分離して神楽神社と名前を改められました。

所在地 神子浜下浜田307番地
祭神 天太玉命 天宇受売命 毘沙門天 火産霊命 妙嚴宮

森の裾には「南方熊楠珍種の藻発見の池跡」の碑が



熊楠が度々訪れた神社であり、珍種の藻を発見した場所ですって。

和歌山県神社庁のサイトでは
「創祀は社伝に宝亀6(775)年9月勧請という。
例祭は11月23日・・・
巫女の里神楽奉納、湯立神事が行われる。」

湯立神事というのを発見し、湯立には釜が必要。
ということは、滝畑ダムの天神社の鉄製湯釜も同じような儀式が行なわれていたのかも知れません。

滝畑ダムの右岸には滝畑磨崖仏写真があるそうです。

画像いただいたサイトは→こちら


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