朝6時頃ギズモに朝ごはん催促で起こされ目が覚めてしまった。
TVつけたらニュースで昨夕の八尾空港の事故機はJA3788だと知る。
岡山から飛び立ち神戸空港を経由し15分後に八尾で着陸失敗の痛ましい事故だった。
なんか神武東征の経路のごとく河内で上陸失敗みたいだなと思って聞いてた。
その後拙ブログに以下コメント頂戴してるのに気づいた。
八尾 (めねふね)
2016-03-27 02:00:59
北海道新幹線が開業し、
日経賞がゴールドアクターとサウンズオブアースの9ー4(94はプルトニウム)で決着した昨日、八尾空港で墜落事故がありました。
八尾について、なにか思いつくことあったら教えていただけると嬉しいです。
コメント返しで書くには長くなりリンクも貼りづらいので新記事としました。
八尾、ヤオと読みます。
富山の八尾はヤツオだそうです。
現代の大和川は柏原からまっすぐ西進し大阪市と堺市の境界線となり大阪湾に出ます。
しかし古代は上町台地東側を北上し寝屋川、淀川と一緒になって大きな河内湖というか河内の海、やがて低湿地に。
江戸時代の工事で大和川の流れが今のようになりました。
八尾は古代から大和川沿いに奈良盆地へ入る際の玄関口でしたから、今とは想像もつかない賑わいがあったのでしょう。
数々の古戦場となっています。
日本書紀によると、3月10日に白肩津に着いた一行は、4月9日に龍田を越えて大和に入ろうとしたが、道が険しく断念して、生駒山直越えの道を選んだとある。…
あの神武東征では重要な拠点のひとつだった。
神功皇后から応神仁徳天皇へと続く河内王朝創成期、物部x蘇我、そして今年の大河ドラマ真田丸も夏の陣とかで徳川と死闘を繰り広げています。
去年春、大阪城築城400年を記念したウォーキングで、真田幸村のゆかりの地を歩きました。
2015/2/24 梅満開の許麻神社は大坂の陣で徳川方の重要拠点だった
大阪市平野区から隣が八尾市です。
いっぺんに建物の高さが低くなり大阪にまだこんなに空が見えるところがあったのかと驚きました。
昭和の戦前にタイムスリップした感じで、古き良き時代が残されてるというより、発展から取り残された感じ。
大阪市すぐ隣の便利なとこやのに、なんで?
20代前半にお茶の先生に連れられて八尾の初釜に行きましたが、大きなお屋敷でした。
私どもは裏千家でしたが、そこは表千家で殿様の作法、今東光とかもそのお点前だと聞いたような。
あれから40年過ぎたというのに、八尾は全く変わっていないように思えます。
さて、その八尾には民家立ち並ぶ街中に小さな空港があるのです。
小型機専用ですから、個人のセスナ機とか、あるいは自衛隊とか、一般庶民のあずかり知らぬところで脈々と受け継がれ営まれています。
昨夕の事故機は、岡山を飛び立ったといってましたが、小型機は岡南飛行場のようです。
「岡南飛行場は、昭和37年10月13日に岡山空港として開港しました。
新岡山空港開港に伴い、それまでの岡山空港と同じ昭和63年3月11日「岡南飛行場」として生まれ変わりました」
昭和63年3月11日
昭和は64年の1月の一週間ほどで終わるので昭和最後の1年で、よりによって 3/11
飛行場の地図を見るとすぐ目の前に児島湖があり対岸に高山剣山があります。
きっとこのあたりに神武天皇は滞在したのでしょう。
そして、神戸空港は、あの阪神大震災の瓦礫を埋め立てて建造されました。
そして、八尾、いろんな地名由来があって興味深いです。
弓削道鏡の出身地でもあり、志木は光仁天皇ゆかりの地でもありますね。
天皇家のゴタゴタや遷都とかも含めキナ臭い地No1かも。
いろんな事象を呼び込む覚醒させるきっかけになるような気がします。
JA3788 ムーニー式M20C機 には初音ミクのイラストがプリントされてたとかの情報は
→こちらのブログ
TVつけたらニュースで昨夕の八尾空港の事故機はJA3788だと知る。
岡山から飛び立ち神戸空港を経由し15分後に八尾で着陸失敗の痛ましい事故だった。
なんか神武東征の経路のごとく河内で上陸失敗みたいだなと思って聞いてた。
その後拙ブログに以下コメント頂戴してるのに気づいた。
八尾 (めねふね)
2016-03-27 02:00:59
北海道新幹線が開業し、
日経賞がゴールドアクターとサウンズオブアースの9ー4(94はプルトニウム)で決着した昨日、八尾空港で墜落事故がありました。
八尾について、なにか思いつくことあったら教えていただけると嬉しいです。
コメント返しで書くには長くなりリンクも貼りづらいので新記事としました。
八尾、ヤオと読みます。
富山の八尾はヤツオだそうです。
現代の大和川は柏原からまっすぐ西進し大阪市と堺市の境界線となり大阪湾に出ます。
しかし古代は上町台地東側を北上し寝屋川、淀川と一緒になって大きな河内湖というか河内の海、やがて低湿地に。
江戸時代の工事で大和川の流れが今のようになりました。
八尾は古代から大和川沿いに奈良盆地へ入る際の玄関口でしたから、今とは想像もつかない賑わいがあったのでしょう。
数々の古戦場となっています。
日本書紀によると、3月10日に白肩津に着いた一行は、4月9日に龍田を越えて大和に入ろうとしたが、道が険しく断念して、生駒山直越えの道を選んだとある。…
あの神武東征では重要な拠点のひとつだった。
神功皇后から応神仁徳天皇へと続く河内王朝創成期、物部x蘇我、そして今年の大河ドラマ真田丸も夏の陣とかで徳川と死闘を繰り広げています。
去年春、大阪城築城400年を記念したウォーキングで、真田幸村のゆかりの地を歩きました。
2015/2/24 梅満開の許麻神社は大坂の陣で徳川方の重要拠点だった
大阪市平野区から隣が八尾市です。
いっぺんに建物の高さが低くなり大阪にまだこんなに空が見えるところがあったのかと驚きました。
昭和の戦前にタイムスリップした感じで、古き良き時代が残されてるというより、発展から取り残された感じ。
大阪市すぐ隣の便利なとこやのに、なんで?
20代前半にお茶の先生に連れられて八尾の初釜に行きましたが、大きなお屋敷でした。
私どもは裏千家でしたが、そこは表千家で殿様の作法、今東光とかもそのお点前だと聞いたような。
あれから40年過ぎたというのに、八尾は全く変わっていないように思えます。
さて、その八尾には民家立ち並ぶ街中に小さな空港があるのです。
小型機専用ですから、個人のセスナ機とか、あるいは自衛隊とか、一般庶民のあずかり知らぬところで脈々と受け継がれ営まれています。
昨夕の事故機は、岡山を飛び立ったといってましたが、小型機は岡南飛行場のようです。
「岡南飛行場は、昭和37年10月13日に岡山空港として開港しました。
新岡山空港開港に伴い、それまでの岡山空港と同じ昭和63年3月11日「岡南飛行場」として生まれ変わりました」
昭和63年3月11日
昭和は64年の1月の一週間ほどで終わるので昭和最後の1年で、よりによって 3/11
飛行場の地図を見るとすぐ目の前に児島湖があり対岸に高山剣山があります。
きっとこのあたりに神武天皇は滞在したのでしょう。
そして、神戸空港は、あの阪神大震災の瓦礫を埋め立てて建造されました。
そして、八尾、いろんな地名由来があって興味深いです。
弓削道鏡の出身地でもあり、志木は光仁天皇ゆかりの地でもありますね。
天皇家のゴタゴタや遷都とかも含めキナ臭い地No1かも。
いろんな事象を呼び込む覚醒させるきっかけになるような気がします。
JA3788 ムーニー式M20C機 には初音ミクのイラストがプリントされてたとかの情報は
→こちらのブログ