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Channel: 秋麗(あきうらら)
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梅満開の許麻神社は大坂の陣で徳川方の重要拠点だった

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おしべが立派すぎる紅梅でした。
八尾市久宝寺5丁目にある許麻(こま)神社境内にて撮影。

先だっての日曜日の大阪の陣ウォーキングで一番おもしろかったのが許麻神社でした。

もうかなり疲れてたのでJR久宝寺駅から離脱しようかと逡巡。
ところがすでに雨は上がってるし、お昼を食べるに適したちょうどよい店が見つからない。

大きなシャープの工場はありましたけど、大阪市平野区から八尾市辺りにかけて何もないのです。
空が広く広がる田舎町のようで、とても大阪市近郊の市街地とは思えない地域でした。

近鉄八尾駅まで行ったらもうちょっとましかも、ということでまた歩き始めました。

JR大和路線の久宝寺駅より北へ500mほどで許麻神社の南側鳥居に到着。



境内右手に紅梅、白梅が並んで満開でした。

広々とした境内に人だかりが


ボランティアガイドさんの説明に聞き入るおっちゃんたちに混じり、私たちも話を聞かせてもらいました。
学校の歴史では習わなかったことでおもしろかったので一部ご紹介。

大阪の陣でこの地域は主戦場となったが、この許麻神社は徳川方の楔を打ち込む重要拠点であった。
それは、すぐ近くに顕證寺があるのでそれに対峙するためです。



寺内町とは、
戦国時代、浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に発達した集落。
周りに土居を巡らし、濠を掘って他宗派や領主の攻撃に備えた。
大坂の石山本願寺、越前の吉崎などが有名。
河内では一向宗の教線の伸張に伴って出口、枚方、招提、久宝寺、富田林、長曾根、金田などの寺内町が形成された。
久宝寺は近世の絵図から推定すると周囲に二重の濠と土居をめぐらし、6所の出入口には木戸門と番所が設けられていた。

河内・慈願寺や久宝寺御坊・顕證寺が「河内門徒」の中心となり河内一向一揆が形成された。








徳川は豊臣を怖いとは思ってなかったが、何より恐れたのが河内一向宗門徒であった。


学校では習わなかった歴史、ネット検索でいろいろわかり興味は尽きません。


許麻神社 ― 八尾市観光データベース
創立は不詳であるが、今から1100年以前より存在していた由緒ある神社
この地は古くは「巨麻荘」または「許麻荘」といい、高麗からの渡来民族が多く住み着いていた。


本願寺第八世 蓮如(1415-1499)
1475年蓮如は争いを鎮静化させるため吉崎を退去し、河内の出口を拠点に積極的な布教を開始。結果、浄土・聖道諸宗の僧俗が多く帰依する。


地形で解く日本史の謎 ― 信長はなぜ石山本願寺を攻め続けたのか?


石山本願寺と一向一揆
石山門徒集団は座摩神社や渡辺党にまで繋がってて興味ふかいです。


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