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Channel: 秋麗(あきうらら)
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若狭姫神社の千年杉

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若狭の国一の宮・上社である若狭彦神社から遠敷川沿いに1kmほど下ると下社の若狭姫神社がありました。
こちらの方が町の賑わいがありますが、とても気持ちのいい神社でした。
両社ともに静謐でした。
古代や中世には日本海に開けた表玄関であった小浜も、近代ではつい最近まではちょっと不便。
それが幸いして、俗されていない清らかな空間を現代にそのまま残すことができたのでしょう。

若狭姫神社は、元正天皇養老5年(721)2月10日、上社より分祀し若狭姫大神(豊玉姫命)とされました。
現在、神事もほとんどは下社で行われていますが、室町以前の祭祀の中心は上社でした。

それでは上社の記事同様、バーチャルお参りしていだきましょう。


道路に沿って小川の清い流れがあり小さな橋を渡って境内に入ります。



すぐ左手に上社と白石神社の遥拝所があります。



両社共に、本殿・神門・随神門の3つが一直線に配置されています。
上社祭神の若狭彦大神同様、降臨の姿は唐人のいでたちで、
白馬に乗り、白雲に居て、白石の上への垂迹であったと伝わる。
随身門には、それを象徴するがごとく眷属が八人づつ所狭しとつ詰め込まれていました。
あとで知った情報なので画像残してません、残念。






本殿を囲む瑞垣(透塀)内には千年杉で有名な神樹がそびえます。
垣の左前に、千年杉を見上げる場所があります。
上を見上げて、健康長寿・子孫繁栄を祈ります。

境内左手にイチョウ大木があり乳が垂れたようになっていて乳神様というそうだ。
乳の木と、横に建つ乳神様の社の画像もありません。

さらに子種石と呼ばれる陰陽石、社殿を左側に曲がると御神井がありました。




神紋は「宝珠に波」



姫神社の祭神トヨタマヒメの妹タマヨリヒメを祀る中宮神社の由緒書き
海(わた)の神の娘であるトヨタマヒメ、その妹であるタマヨリヒメ。
タマヨリヒメは「乳母・安産の女神」です。
ゆわたおび=斎海帯の意から安産祈念の岩田帯になったと。
海(わた)はまた海(うみ)とよみ、産(うみ)に通じる、
なるほど〜

帰るとき、境内入口の鳥居は左手に「見返り鳥居」の説明版


参拝を終え帰路につく時に、ここで振り返りこの千年杉に別れを告げます。





若狭姫神社で調べていて、神奈備サイト
で興味深いこと記載されてましたので、そのまま引用させてもらいます。

両神は小浜市下根来(ねごり)の白石の里に降臨したと伝わり、白石神社が鎮座している。
降臨地より少し下った清流の屈曲する深淵を鵜ノ瀬といい、東大寺二月堂の若狭井の水源とされるお水送り神事が行われている。
謂われは、二月堂の修二会では神名帳を読んで諸神を勧請したが、当社の遠敷明神は漁を行っており、これに忙しく、はせ参じるのが遅れたと云う。
遠敷明神はお詫びとして、二月堂十一面観音にお供の閼伽水を送ると約束したと云う。

神々の参集での遅刻の話は、和歌山の日高の笑い祀りで有名な川辺町江川の丹生神社にも伝わっている。
丹生津比女命が出雲へ旅立つ朝、寝すごしてしまい、あわてふためいて着物を木にひっかけて破り、土産を持って行くのを忘れたので、村人たちは大笑いしたという。
他愛もない昔話だが、「ニュウ」の共通があり、面白い。
東大寺の大仏建立には金が必要で、それを得る為には水銀に金を溶解して大仏に塗布し、熱で水銀を蒸発して金メッキを施すのであるが、その水銀が当地でとれたのかもしれない。
小浜でなかっての若狭国には丹生郡があり、その一宮として遠敷明神と称えられたのかもしれない。

白雲は白雲別神を思わせ、これは吉野首の祖で、井光神の父神の名であり、神武天皇説話の井氷鹿との関連も水銀の丹生を強く思わせる。
丹生都比売神の流れも、江南からなのか、また半島からなのか、議論のある所ではあるが、小浜の秦氏や丹生氏の存在は、当神社とは無関係ではなさそうである。
当社の社家は笠氏で、祖神は吉備津彦系統の鴨別命とされ、こんな所にも吉備国の影響が見られるのも興味深い。

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