週末、熊野へ行ってましたが、二日目は本降りの雨でした。
熊野速玉大社で買い求めたもうで餅は、こしあんが包まれてます。
まわりに「はったいこ」がまぶされてて、懐かしい味で美味しかった。
はったいこというのは関西だけかもしれませんが、大麦を炒って挽いた粉。
一般的には麦焦がしというのですね。
大豆の粉がきなこです。
2006年6月に熊野詣をしたときは、このもうで餅知りませんでした。
あのときのコースと逆周りに、
今回は、氏神さん大枝神社の地車隊の親睦旅行です。
毎冬かに食べに行ってますが、今年はなぜか紀南の串本と熊野。
昨日はいいお天気に恵まれて、快適に観光できました。
串本海中公園、大島のトルコ軍艦遭難記念碑、潮岬、橋杭岩、太地くじら博物館
デジカメ画像に見るべき画像あれば追ってご紹介します。
今日は、雨の中、熊野三社参り。
かつて賜った熊野牛王の護符が寝室の壁、災難除けとして8年間貼ったままでした。
古いのを納めるつもりが持って行くの忘れてた。
那智大社はカラスが72羽、速玉大社は48羽、そして、熊野本宮大社は88羽が記されています。
この数の違いは何なんでしょう?
2006年の8年前の記録は→那智大楠・オーブの不思議・熊野詣・オカラスさん
この熊野牛王、単なる災難除けではないことを、改めてちゃんと調べて知りました。
この護符の裏に契約を書くのに使うものだったらしいです。
約束がはたされないと、…
熊野牛王とは、熊野三山で授与される神札で、「熊野権現のお使いの烏」(からす文字)と「宝珠」を組み合わせてデザインされ、社名などを表している。
「牛王」の由来は諸説あるが、牛の胆嚢から得る牛黄(ゴオウ)を印色(朱)として護符に用いたことによるとされる。
この「熊野午王」は、本来は厄除け災難よけの「護符」だったが、その裏に起請(誓約)を書く「誓紙」として用いらるようになって世に知られるようになった。
即ち、熊野神を誓約の立会人とすることで有名になった。
起請(誓約)を破ると、熊野神の使いのカラスが三羽死に、破った本人は血へどを吐いて死に、地獄に堕ちるとされた。
義経が頼朝に忠誠を誓ったり(吾妻鏡)、秀吉が重臣に息子秀頼に二心なきことを誓わせたり、赤穂浪士があだ討ちを誓ったのも、この熊野午王を誓紙にしてなされたとされる。
熊野牛王を用いた起請文は、権力者ばかりではなく広く民衆の間にも広まり、江戸時代には、遊女と客が取り交わす誓紙にまで使われた。
熊野牛王を灰にして飲んでも効果は変わらず「牛王を飲ます」といわれると、やましいことのある人は血を吐いて死ぬのが怖くて、飲む前に自白したほどだとされる。
熊野速玉大社で買い求めたもうで餅は、こしあんが包まれてます。
まわりに「はったいこ」がまぶされてて、懐かしい味で美味しかった。
はったいこというのは関西だけかもしれませんが、大麦を炒って挽いた粉。
一般的には麦焦がしというのですね。
大豆の粉がきなこです。
2006年6月に熊野詣をしたときは、このもうで餅知りませんでした。
あのときのコースと逆周りに、
今回は、氏神さん大枝神社の地車隊の親睦旅行です。
毎冬かに食べに行ってますが、今年はなぜか紀南の串本と熊野。
昨日はいいお天気に恵まれて、快適に観光できました。
串本海中公園、大島のトルコ軍艦遭難記念碑、潮岬、橋杭岩、太地くじら博物館
デジカメ画像に見るべき画像あれば追ってご紹介します。
今日は、雨の中、熊野三社参り。
かつて賜った熊野牛王の護符が寝室の壁、災難除けとして8年間貼ったままでした。
古いのを納めるつもりが持って行くの忘れてた。
那智大社はカラスが72羽、速玉大社は48羽、そして、熊野本宮大社は88羽が記されています。
この数の違いは何なんでしょう?
2006年の8年前の記録は→那智大楠・オーブの不思議・熊野詣・オカラスさん
この熊野牛王、単なる災難除けではないことを、改めてちゃんと調べて知りました。
この護符の裏に契約を書くのに使うものだったらしいです。
約束がはたされないと、…
熊野牛王とは、熊野三山で授与される神札で、「熊野権現のお使いの烏」(からす文字)と「宝珠」を組み合わせてデザインされ、社名などを表している。
「牛王」の由来は諸説あるが、牛の胆嚢から得る牛黄(ゴオウ)を印色(朱)として護符に用いたことによるとされる。
この「熊野午王」は、本来は厄除け災難よけの「護符」だったが、その裏に起請(誓約)を書く「誓紙」として用いらるようになって世に知られるようになった。
即ち、熊野神を誓約の立会人とすることで有名になった。
起請(誓約)を破ると、熊野神の使いのカラスが三羽死に、破った本人は血へどを吐いて死に、地獄に堕ちるとされた。
義経が頼朝に忠誠を誓ったり(吾妻鏡)、秀吉が重臣に息子秀頼に二心なきことを誓わせたり、赤穂浪士があだ討ちを誓ったのも、この熊野午王を誓紙にしてなされたとされる。
熊野牛王を用いた起請文は、権力者ばかりではなく広く民衆の間にも広まり、江戸時代には、遊女と客が取り交わす誓紙にまで使われた。
熊野牛王を灰にして飲んでも効果は変わらず「牛王を飲ます」といわれると、やましいことのある人は血を吐いて死ぬのが怖くて、飲む前に自白したほどだとされる。