寅絵馬飾りたかったので今年も破魔矢。
今以上にコロナに怯えてた昨年、近くの大宮戎へ初参拝しました。
残り福@初めての大宮えびす;福笹画像追加 - 秋麗
結局は店閉めることに…福授かり、ご加護あったからこそ、ソフトランディングできたんでしょね。
8月末閉店して9月には福笹返しに行きました。
破魔矢は家に飾ってたので、今日はいいお天気で自転車で向かいました。
来年は福扇か熊手にしよう。
大宮神社では授かった福笹などを拝殿に置いて
これがなんか有難いんですよね〜
拝殿右手にもちの大木茂ってて、「いぼ大神」みなさんお参りした後に幹肌さすります。
幹にあたる木漏れ日の光が顔のよう、幹右手にも建物とかが仮面被った顔面に見える。このせいではないけど、帰りは千林商店街で道迷って往生しました。
大宮神社は1185年源義経が創建。ちょうど昨晩から始まったNHK大河ドラマの時代ですね。
昨年も記した神社由緒を再掲します。
『摂津国風土記』に比売許曽の神が比売島に来たとある。西淀川区姫島に鎮座する姫島神社を比売許曽神社とする説があるが、ここは近世まで海中であった。 摂津国風土記にいう難波の日女島(比売島、姫島)は旭区森小路付近と考えるのが妥当。 ここに鎮座するのが当社である。当地は旧名を南島と云われ、島であり人々も住み耕作もされ、北側には淀川から流れこむ瀬で船泊りもできたようだ。 比売許曽の神の比売島であるとの証は勿論ないのだが、往古からの聖地であったかも知れない。
『社記』によれば、大宮神社の創建は、今から約八百年昔、文治元年二月、源義経が平氏追討の為下向の際この地に一泊し、その時に宇佐八幡の神の霊夢をみ、目覚めてみれば一樹の梅の古木に霊鏡が掛けられていました。 義経は吾に神助ありと勇気百倍、その鏡を奉じて平家を討ち滅ばし、後鳥羽上皇に奏上して神社建立をお願いして許され、この地に社を建てて大宮八幡宮と称した。と記されている。 http://kamnavi.jp/en/settu/oomiya.htm