6年前に生石神社で石の宝殿見て感激し記録残してます。なんとも不思議!シーボルトもスケッチ残した石の宝殿
あの時一緒に訪れた友から、「こんなんどう」とメールきたのが10日前。春分に別府温泉行くのキャンセルして、5/23ならコロナもおさまり大丈夫だろうと決めてた。その行先提案が、越木岩神社でした。
兵庫県西宮市甑岩町5-4
阪急電車「苦楽園口」駅・「甲陽園」駅より徒歩約20分
緊急事態宣言延長なったけど、もうええやろ、ちゃっちゃと参拝見学してすぐ帰ろうとお出かけ決行。久しぶりの電車は乗客がほぼ座れる程度まぁまぁの混み具合でした。
梅田から阪急特急9:20に乗車20分ほどで夙川、支線に乗り換えて二駅終点が甲陽園駅。
先の記事のsatokoさんコメントで、ツマガリに触れてくださってます。阪神間で有名な洋菓子店です。過去何度か進物でクッキー詰め合せもらったことありました。地図見てたら、甲陽園が本店だと知り立ち寄ることに。
9:57人気店ゆえ並んでる人もいて、さらに厳重なコロナ対策。シュークリーム買うだけで20分ほど要しました。
年のせいか地図はスマホより落ち着く印刷物。歩き始めて、阪急オアシス店と駐車場過ぎたら、こんな急階段⤵
10:08やっぱり平面図よりGoogleビューでデモ歩行しとけばよかった。
何度か不安抱えながらも、前をゆくハイカーの後を付けていくと、
10:21
このまま山中に入りそうになったので、小さな滝見て引き返す。地図の銀水橋から夙川に沿って住宅街を下る。
さっさと歩けば20分もかからない、はず。脇の鳥居から入りショートカットしたのに10:39
蛭子太神宮
それまでの磐座(いわくら)祭祀の頃を経て、正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年(1656年)8月16日、円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神(ひるこおおかみ)を勧請し、蛭子太神宮と称した。
本殿左側から、磐座へ行けます。
50mほどで甑岩に行けると立札ありました。
越木岩神社の住所は「西宮市甑岩町5-4」
このあたりに散在する磐座多数あり、酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから甑岩
甑岩が先にありきですね。
参道途中左側に 末社「土社」
土社で祀られているのは大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)
大地を司る神様で、大国主大神や大穴牟遅大神などと同神
神社として創始されたのは600~700年頃と推定されています。
この時代に起きた大地震を機に地鎮を目的として祀られました。延喜式神名帳には「大国主西神社」という名で記されています。
延長5年(927年)に纏められた延喜式神明帳に載る 摂津国・菟原郡(のちに武庫郡に合併)に鎮座する「大国主西神社」は当社と比定されています。
推古天皇の時代(599年) 『日本書記』に日本最古の地震として記録される“推古地震”が起こります。
地震が発生し建造物が悉く倒壊し、推古天皇は「則ち四方に令して地震の神を祭らしむ」として、
飛鳥からみて四方、東西南北に命令して地震の神、つまりオオクニヌシを祀らせ、その中の一社が当社であろうと推定。
なぜか岩でできた祠の扉が閉じられコーキングされてます。なんか封印されてるがごとくの印象持ちました。他の祠はすべて扉開かれてたから。ところが、中央の下10㎝ほどが剥がれ落ちてて、出てきたんちゃう?なんて。
2013-3-16の画像見つけました。引用元☞こちら
ほらちゃんと閉じられてますでしょ。
つづく
あの時一緒に訪れた友から、「こんなんどう」とメールきたのが10日前。春分に別府温泉行くのキャンセルして、5/23ならコロナもおさまり大丈夫だろうと決めてた。その行先提案が、越木岩神社でした。
兵庫県西宮市甑岩町5-4
阪急電車「苦楽園口」駅・「甲陽園」駅より徒歩約20分
緊急事態宣言延長なったけど、もうええやろ、ちゃっちゃと参拝見学してすぐ帰ろうとお出かけ決行。久しぶりの電車は乗客がほぼ座れる程度まぁまぁの混み具合でした。
梅田から阪急特急9:20に乗車20分ほどで夙川、支線に乗り換えて二駅終点が甲陽園駅。
先の記事のsatokoさんコメントで、ツマガリに触れてくださってます。阪神間で有名な洋菓子店です。過去何度か進物でクッキー詰め合せもらったことありました。地図見てたら、甲陽園が本店だと知り立ち寄ることに。
9:57人気店ゆえ並んでる人もいて、さらに厳重なコロナ対策。シュークリーム買うだけで20分ほど要しました。
年のせいか地図はスマホより落ち着く印刷物。歩き始めて、阪急オアシス店と駐車場過ぎたら、こんな急階段⤵
10:08やっぱり平面図よりGoogleビューでデモ歩行しとけばよかった。
何度か不安抱えながらも、前をゆくハイカーの後を付けていくと、
10:21
このまま山中に入りそうになったので、小さな滝見て引き返す。地図の銀水橋から夙川に沿って住宅街を下る。
さっさと歩けば20分もかからない、はず。脇の鳥居から入りショートカットしたのに10:39
蛭子太神宮
それまでの磐座(いわくら)祭祀の頃を経て、正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年(1656年)8月16日、円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神(ひるこおおかみ)を勧請し、蛭子太神宮と称した。
本殿左側から、磐座へ行けます。
50mほどで甑岩に行けると立札ありました。
越木岩神社の住所は「西宮市甑岩町5-4」
このあたりに散在する磐座多数あり、酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから甑岩
甑岩が先にありきですね。
参道途中左側に 末社「土社」
土社で祀られているのは大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)
大地を司る神様で、大国主大神や大穴牟遅大神などと同神
神社として創始されたのは600~700年頃と推定されています。
この時代に起きた大地震を機に地鎮を目的として祀られました。延喜式神名帳には「大国主西神社」という名で記されています。
延長5年(927年)に纏められた延喜式神明帳に載る 摂津国・菟原郡(のちに武庫郡に合併)に鎮座する「大国主西神社」は当社と比定されています。
推古天皇の時代(599年) 『日本書記』に日本最古の地震として記録される“推古地震”が起こります。
地震が発生し建造物が悉く倒壊し、推古天皇は「則ち四方に令して地震の神を祭らしむ」として、
飛鳥からみて四方、東西南北に命令して地震の神、つまりオオクニヌシを祀らせ、その中の一社が当社であろうと推定。
なぜか岩でできた祠の扉が閉じられコーキングされてます。なんか封印されてるがごとくの印象持ちました。他の祠はすべて扉開かれてたから。ところが、中央の下10㎝ほどが剥がれ落ちてて、出てきたんちゃう?なんて。
2013-3-16の画像見つけました。引用元☞こちら
ほらちゃんと閉じられてますでしょ。
つづく