海岸沿いの山陰海岸ジオパーク近くで見かけたマンホール蓋。松に蟹、ユリはわかるけど、右のけったいな動物は何?大きな口に鼻の穴、凛々しい目、そして一本角が目を惹きます。
調べてみると、2005年に合併した新温泉町の、旧浜坂の汚水用マンホール蓋でした。日本海を背景に、町の木「クロマツ」、町の花「ササユリ」、町の鳥「イワツバメ」、特産の「松葉ガニ」 そして但馬三大祭りの一つ「川下《かわすそ》祭り」の麒麟獅子舞
麒麟獅子舞だったんですね。
たまたま今年のNHK大河ドラマは「麒麟がくる」ですし、明智光秀は但馬地方を統治してた。なんか繋がりありそう。
川下(かわすそ)祭りとは江戸中期から伝承されている浜坂宇都野神社の7月夏の例祭、川下祭りで神前で麒麟獅子舞を舞われた後、
御輿町内巡行列の先導として町内を廻り、家々の門前で家内安全を祈念し勇壮に舞います。
麒麟獅子舞の起源については定かではないようです。
鳥取藩の初代藩主・池田光仲が、慶応3年(1650)に因幡の樗谿神社(おおちだにじんじゃ)に日光東照宮の御分霊を勧誘した。その祭礼行列に、日光東照宮を象徴する麒麟を頭にした麒麟獅子舞を、
因幡東照宮の奉納芸能として舞ったのが始まりとされる。
鳥取に広まった麒麟獅子舞が但馬にも伝えられたのではないかと言われている。
そして、こんなの⤵初めて知りました。
日本遺産「麒麟のまち」
日本海の風が生んだ絶景と秘境 幸せを呼ぶ霊獣・麒麟が舞う大地「因幡・但馬」
麒麟は他の生き物を傷つけない泰平の世の象徴とされた中国に伝わる霊獣で、
約370年前に初代鳥取藩主・池田光仲が偉大な曾祖父・徳川家康を祀るために創建した神社の祭礼で、麒麟の顔を持つ獅子舞として初めて姿を現した。
きらびやかなその姿を見た人々は、幸せを呼ぶ存在として、自分たちの村の祭りにも取り入れたいと強く願った。
麒麟獅子はその顔や舞の作法など、村ごとに異なる個性と形態を生みながら、この地に広がり受け継がれていった。
因幡・但馬は、日本海から吹きつける風と人の共生の地であり、麒麟獅子を心のよりどころに、砂・波・雪の厳しい自然を受け入れ、風とともに生きる人々の知恵と逞しく生き抜いてきた歴史が息づいている。
鳥取池田藩と徳川将軍家江戸幕府徳川家康公の実の曾孫にあたる、初代鳥取藩主池田光仲公。鳥取池田家のルーツは、平安時代摂津(和泉市)が発祥の氏族で、鎌倉時代に美濃の土岐氏の家臣として分家し後に、織田家、豊臣家に仕えた美濃池田家である。織田信長に仕えた池田恒興は、本能寺の変以降、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉らと肩を並べた四宿老に列した大名で、近世大名池田家の祖となっている。池田恒興の嫡子で、鳥取池田藩の初代藩主池田光仲公の祖父にあたる池田輝政の時代には一族で播磨、備前、淡路、因幡に計100万石近い諸藩を有し「播磨宰相」「姫路宰相」「西国将軍」などと称された。池田家は、正に天下人を支え、天下人と共に歩んできた武家の名家なのである。