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Channel: 秋麗(あきうらら)
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グリコサインとコロナサイン

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先の「かぜひいてまんねん」の記事で、改源の風神さん取り上げました。道頓堀の有名な撮影スポットで、グリコのネオンサインが目を惹くのは昔からです。幼少期に親に手を引かれ、見上げたグリコのでっかさ印象に残ってます。
画像探してきました。頂戴したサイトは大阪のランドマーク グリコサインを徹底紹介 

2代目 1955〜1963年多分、こんなだったと思う。

初代は 1935〜1943年
高さ33mで度肝抜いたネオンだったが、戦中の鉄材供出で解体。戦後、その土台に復興したのが2代目だったのです。
3代目 1963〜1972年高さ18メートルの噴水型のネオン塔に。
グリコマークの中心部にある水車状のノズルから12トンもの水が噴き出し、 12色のランプが水を照らすことによって、美しい虹の模様を描いた
覚えてないのです。
ミナミはずーっと行ってたのにね、記憶の不思議。いわゆるティーンエイジャー期で違うとこ見てたのかなぁ。
4代目 1972〜1996年
この後、5代目(1998〜2014)、6代目(2014〜現在)今や世界的にインスタスポットとして発信されています。
この道頓堀は、学生時代に安井道頓が造ったと習ったはず。ところが、りひとさんのコメントに触発されて確認してみると、なんと、ホントは道頓さんに違いないけど苗字が違ってた!
参照並びに引用させてもらったサイトはミナミの名所道頓堀を造ったのは、成安道頓

1965-1976年の11年間に渡る「道頓堀裁判」で争われて判明したようです。こんなことがあったなんて全く知りませんでした。
審理の過程で「道頓」が安井姓であったかどうかが争われ、 ・・・道頓は安井姓ではなく成安姓であると結論づけた 。
「道頓の遺志を継いで、安井九兵衛らが堀の開削を進めた話が代々語り伝えられる中で、いつしか成安姓が安井姓にすりかわってしまったんでしょう」大阪人 第55号・2001年8月歴史学者の脇田修氏(大阪大学名誉教授) 
裁判官は、安井道卜一族の努力によって道頓堀が完成に導かれたことを認め、道頓堀繁栄の礎を築いた功績はまことに大きいと評価した。その言葉に原告は、「お金ではなく、先祖の功績が認められて満足です」と語り、控訴を取り止めた。

知らんかった~
道頓堀の開削を指揮した中心人物 成安道頓 は大坂平野郷( 現在の平野区) の上層階級である七名家(しちみょうけ)の一つ、成安家の出身 でした。
そして時節は流れ、道頓もびっくり、架空の「道頓関」 が誕生!

2015年免税ショップ「DOTON PLAZA大阪」が誕生し 、その前の広場に設置された力士像。
DOTON PLAZA大阪に来た外国人旅行者はこれを珍しがり、道頓関の土俵入りのポーズを真似て写真に収めて帰る。それをインスタグラムにアップする人も多く、今や「DOTON」の名は世界中に発信されている。

すでに5年も経過してるのに、知らんかった~コロナ自粛終わったら、見に行ってこようと思います。
さてそのコロナ、大阪モデルは順調で、残すはあと4日。












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