現地到着してバス下車したら配布されたパンフレット
手前に竹生島、葛籠尾崎の入り組んだ入江にある菅浦集落を訪れました。
昭和46年まで陸路ではいけなくて交通手段は船のみ。今は奥琵琶湖パークウェイの終点です。
13時に湖西にある安曇川の針江を出発し、40分ちょっとで菅浦に到着。
白洲正子さんの「かくれ里」には
「…菅浦は、大浦と塩津の中間にある港で、岬の突端を葛籠尾(つづらお)崎という。竹生島とは目と鼻の間で、街道からは遠く外れるため、湖北の中でも全く人の行かない秘境である。つい最近まで、外部の人とも付き合わない極端に排他的な部落でもあったという。
それには理由があった。菅浦の住人は、淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じており、その誇りと警戒心が、他人を寄せ付けなかったのである。…ここには淡路の廃帝が、一つの信仰として生きているのはおもしろい。神を創造することが、日本のかくれ里のパターンであることに私は興味を持つ。人里離れたところに住む人々は、何か心のより所がほしかったのであろうか。不幸な貴人に同情することが、貧しい人々の真情なのか。…そこには必ず信じるに足るだけの、事実と根拠があったに相違ない…」
興味そそりますでしょう。二つのグループに分かれ16時まで散策開始。つづく