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Channel: 秋麗(あきうらら)
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こんな身近に榎大木あったなんて

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幹肌は象のよう

葉っぱは葉っぱのギザギザは上だけ。葉脈の一番下から枝脈出てる。
これって、榎エノキ やんか!
この大木がどこにあるかというと
守口市体育館横の通りは大枝神社裏に面してます。境内の裏に大木があるのは知ってました。でもただの木としてしか認識してなかった。守口市で暮らすようになってから39年間も。 この木何の木気になる木その5で、ケヤキと思ったらムクノキだったことを知ったこの春。今では見分け方として、樹形、幹肌、葉っぱのギザギザや葉脈で違いをマスター。街のあちこちにケヤキを発見し、ニンマリしてます。 ムクノキは、いまのとこ他では出会ってないです。エノキもよく似ているけれど見分け方がわかった。
 ケヤキとムクノキの違いは - 質オザサ店主ブログ  大枝神社の鳥居くぐって正面から左右に楠の大木二本あるので、それに気を取られてた、今までは。 本殿左手に小さな祠が末社の東照宮

その後ろにある大木が榎だったのです。
木を観察して撮影して帰ろうとしたら、
なぜかシャッターボタンを無意識で押してた。木が怒ってるというか呆れてる?今ごろわかったのかって。

 榎のウンチクをあちこちから頂いてコピペしときます。
木偏に夏と書くエノキは、文字通り夏の木とされています。夏に涼しげな木陰をつくってくれるという意味合いかも知れません。さて、一里塚とは、かつての街道で目印のため一里毎に盛られた土の塚のことです。旅人の休憩のため、そこに木が植えられ、木陰で休めるように配慮されていました。その樹種がエノキでした。エノキ以外にもマツやスギといった樹種も植えられましたが、エノキが断然多かったのです。http://www.m-sugi.com/59/m-sugi_59_iwai.htm


一里塚を広辞苑で調べると「街道の両側に一里ごとに土を盛り里程の目標にした塚。多く榎を植えたとある。古くは平安時代末期に奥州藤原氏が里程標を立てたのが始まりとされる。室町時代の一休和尚の歌に「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」があり、一里塚の言葉は一般化していたことが分かる。
江戸時代に主要街道の整備と共に一里塚も整備された。その整備の際に、並木としては松や杉を植え、一里塚にはエノキが植えられた。エノキは成長が早く枝を繁らせ、よく根を張るので塚の土盛りが崩れるのを防ぐので採用されたと解釈できるが、いろいろな説がある。当時の総奉行大久保長安が「一里塚には余の木(松以外の木)を植よ」との家康の命を聞き誤りエノキを植えた、という説が面白いとしてあちこちで紹介されている。明治36年刊行の「大日本有用樹木効用編」には、エノキは生でも燃えやすいので軍事上、夜戦のときに使うことができるとして植えられたという説が紹介されている。
実際に五街道の一里塚の樹種を調べるとエノキは過半数(55%)を占め、以下、松、杉、栗、桜と続くようだ。塚の大きさは一般に五間(9m)四方、高さは一丈(3m)で、道の両側に作られたのでかなり大がかりなものだった。現在でも各地域の史跡として保存されている場所が多い。地名にも笹塚など「塚」の字が残っている。http://www.jugemusha.com/jumoku-zz-enoki.htm


榎だと認識したのが先週土曜5/25早朝の散歩で、昨日夕方再確認に出向いた。 今朝また行って撮影した画像追加します。




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