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Channel: 秋麗(あきうらら)
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西の京ぶらぶら歩いて薬師寺へ

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お寺の屋根瓦にのる獅子らしきオブジェが、右前足あげてアイーンしてるような姿。珍しいなと、でもお寺名は撮影しなかったので忘れました。
JR郡山駅9時に着いて30分ちょっと北上すれば薬師寺。そのつもりが、目に留まるものいっぱいあって1時間もかかってしまった。平成最後のぶらぶら歩きレポートです。 郡山といえば金魚で有名ですよね。
できるだけ車の通る広い道を避けて、昔からの街道筋のような道を歩きました。
かつての商家のようで、板戸を降ろせば売り物を並べることができるのでしょう。飛騨高山の陣屋で説明受けたような、日本家屋の木造建築の粋を見た思いです。
 住吉神社があるということは、古代は川を使ってここまで来てたんだろうなと。
秋篠川に突き当たり土手沿いの道を歩くことにしました。平城京西市船着場跡
一緒に行った友人は歴女です。郡山の駅降りてすぐに見た、大和郡山城の外堀緑地北門のところで、平城京羅城門の説明見たと言うのです。私は見落とした。それで家に帰ってから調べてみると
この地図みてると、西市がある秋篠川は、西堀川と書かれてます。掘った川だったのですね。平城宮の朱雀門に対し、平城京の羅城門は現在佐保川にあり、看板が立ってるそうです。
それが気になって調べてみると、ヤフー知恵袋に奈良平城京の羅城門跡は現在佐保川の土手か河原みたいです。
平城京の羅城門は川に接して建てられたのですか?
その答えは平城京内には、左京の東堀河、右京の西堀河という
二つの人工河川が南北に直線状に流れていたと考えられています。

このうち東堀河は、現在の佐保川にあたる川を造作したものです。
東堀河跡は左京三坊をまっすぐに南へ流れていました。
近年発掘調査が進み、
九条大路を越えて南にさらにまっすぐ流れていたことがわかっています。

西堀河は、現在の秋篠川の流路と重なっていると考えられています。
まだ発掘調査が行われていないのですが、
東堀河がまっすぐ京外まで流れていたとすれば、
西堀河=秋篠川も、まっすぐ流れていたはずです。
現在、九条公園のところで秋篠川がぐいっと東に屈曲しているのは、
後の世、大和郡山城築城にあたって、
川を防衛線として利用するために人為的に曲げられたものです。

現在の佐保川・秋篠川合流点から、大和郡山市稗田町あたりまでの
佐保川のまっすぐな流路は、
かつての平城京朱雀大路~「下つ道」の道路敷にあたります。
道路敷は、誰の耕作地でもなかったので、
後に河川敷に転用されやすかったのでしょう。



秋篠川土手を歩いていると薬師寺の東塔の工事覆いが見えてきました。もうちょっとや、頑張ろう!
さらに進むと、なんということでしょう!先日来、あいたいなぁ~と思ってた榎が! 木に夏と書いて榎。エノキは、夏になると葉っぱが生い茂り日陰を作る大木になる木なんですね。


葉を裏返し葉脈確かめても、間違いなく榎だと思います。
念ずれば通ず。

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