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Channel: 秋麗(あきうらら)
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猿田彦大神のお使いの二見蛙と興玉神石

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ずーっと昔、半世紀も前に二見浦の夫婦岩みてました。
小学校の修学旅行でこここで宿泊して翌朝、鳥羽の真珠島見学したような。
戦後、二見浦が修学旅行のメッカの如くで昭和35年48万人をピーク、その後の下降中に行ってたようです。
ほとんど記憶残ってないとおもったら、遊歩道の整備は平成7(1995)年のことだった。


大枝神社地車隊で平成最後の伊勢参り行くことになり、この週末参加して来ました。
普段この御一行さまは、自分の神社は好きだけど、よその神社に全く関心ない。
毎年の親睦旅行でお寺参詣はあるのですが、神社参拝したのは熊野大社、熊野速玉大社、そして丹後の籠神社だけだったと思います。
そうしたおっちゃん中心の団体旅行で、今回の平均年齢67才だそうです。
だから、ヘェ〜神宮行くんだ〜ご時世というものなんかなと思ってた。





昨日記事にした二見興玉神社ですが、なんでこんなにカエルいっぱい置いてるのと年配者にお尋ねしたら、
「無事カエル、お金がカエルの縁起物や」というお答え。
帰ってからご祭神調べたら、猿田彦大神でそのお使いが蛙だったのですね。

二見興玉神社では、昭和初期頃に実際に授与されてた御朱印の古図が見つかり、その図案を復元した復刻版御朱印を2018年7月から毎月23日(二見の日)限定で授与されてるそうです。
その御朱印が、上の右画像です。



二見浦って二つ見えるからそういうのかな、どの二つなんだろうと思ってたら、立て看板に


夫婦岩が日の大神(太陽)と興玉神石を拝む鳥居の役目をしていると。
日の大神が天照大神なら、「興玉神石」が何かを示すのかも調べてみた。

夫婦岩の沖合約700m先に鎮まる岩のことでした。
周囲約850メートル、高さ約7.5メートルの大きさもあるそうだ。

Wikipediaによれば、
三重県伊勢市二見町江、立石崎の北東650mの沖合に鎮座する二見興玉神社の祭神猿田彦大神縁りの霊石である。猿田彦大神の化身とも、天孫降臨の際に猿田彦大神が立たれたとも伝わる。
宝暦年間に発生した地震により、海中に沈んでいるため、肉眼で見る事は出来ない、1960年のチリ地震による津波で水が引いた際に一時的に姿を現した。
石の大きさは東西216m×南北108mである

宝暦は宝永の間違いだと思えます。

ところが伊勢志摩観光ナビには、
安政元年(1854)12月23・24日(旧暦11月3・4日)に発生した安政の大地震「東海・南海地震」(32時間後に連続発生、推定M8.4)で、完全に海の中に沈んでしまった。
現在は水面に出ることはないが、1960年のチリ津波発生時に少しだけ姿を出したという。

1707年と1708年の 宝永地震(南海トラフ全域が震源域)
1854年の安政南海地震(南海道沖の巨大地震)
どちらも紀伊半島に大きな被害残した大地震で津波も来たと記録残ってます。


江戸時代末期の浮世絵、大英博物館で保存されてるようです。
2代目・歌川広重『諸国名所百景』伊勢二見ヶ浦


1800年代後半のものだとして、興玉神石が描かれているようには見えません。
いつ沈んだかの正確な情報は確認できませんでした。




江戸時代の伊勢参宮名所図会にも

夫婦岩の後ろに富士山と御来光が描かれています。


初富士の鳥居ともなる夫婦岩 山口誓子
句碑があるそうですが見落としました。





夫婦岩は「日の大神」と夫婦岩沖合の猿田彦大神縁りの「興玉神石」を拝する鳥居の役目をしています。
興玉神石は猿田彦大神の誕生石とも伝えられてます。 
さらに200km離れた先に富士山があり、夫婦岩の間に位置します。
夏至の日にはその富士山の真上からから太陽が昇るように配置されているというのもすごい。
その延長線上には、皇居さらに鹿島がライン上に乗るのだそうです。







通りがかりで写した看板

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