昨日初めて足を踏み入れた商店街。
大阪住んでてても西成は聞く子も黙るややこしいエリアで、行ったことない人多いでしょう。
若かりし頃、警察関係者に聞いたところによれば、あの当時西成で1日の発生事件数は、豊中なら1ヶ月に相当すると。
実際保護観察対象者で、西成に出向いたらクスリはすぐ手に入るだの、風俗がらみだの、いかがわしいエピソード耳にすると、行って見たいと思ったことなかった。
迷たらあかんからと、地下鉄動物園前駅東改札が集合でした。
昨年晩秋に、調整さんで調整された12名のご一行様。
商店街にはカラオケ居酒屋が軒を並べてて、どの店も透明ガラス戸越しに中は丸見え。
内外ともに撮影ははばかられた。
夜間消毒しますって貼り紙も今までに見たことない。
西成のあいりん地区、釜ヶ崎、飛田新地、どうなってるんだろうとググってみると
ブルーで塗られてエリアがあいりん地区
西成区を語る上でもう一つ外せないのが「飛田新地」です。
大正時代に築かれた遊郭で、1958年の売春防止法以降、表向きは「料亭」ですが、内容は変わっていません。
一応料亭ってことで、女の子は仲居さんなんだよ。16000円くらいでお茶と茶菓子とかが出てくるんだけど、仲居さんとたまたま恋に落ちて、たまたま行為に至るっていう。要は自由恋愛ってことだ。
引用元は こちら
このサイトによれば、
昔やと、簡易宿泊所がものすごく需要があって、一つの店が成功したんですね。そしたらその波に乗ろうとして簡易宿泊所が大量にできたんです。その後も、喫茶店やホルモン屋なんかが同じように一つ流行ると爆発的に増えました。今でも残ってる有名なところは4~5軒くらいなんですけど。
なるほど、1つの業種に集まるっていうのはそういうことですか。
最近やと、カラオケ居酒屋がめちゃめちゃ増えましたね……
で、私たちが向かった先は、このディープストリートに看板もない隠れ処だった。
つづく
★追記
釜ヶ崎とあいりんはどう違うんだろうと地名を調べてて、以下ブログに至りました。
▼「釜ヶ崎」と「あいりん」地区を同じと誤解されている方が多いが、住んでいる方々は「釜ヶ崎」と呼び、行政は「愛隣・あいりん」と呼ぶ。
釜ヶ崎と山王町を合わせて「あいりん地区」という行政の呼び名。なので釜ヶ崎はあいりん地区の一部のことで、住んでいる方は「釜ヶ崎」の呼び名に親しみを抱いている。実際には「釜ヶ崎」という地名は今は無い(1922年に消滅)。
由来は大阪湾が上町台地にまで広がっていた頃、「鎌」のように突き出た形の半島の岬、ということから付いた地名で、炊き出しのお釜が先という都市伝説は間違い。
さらに、釜ヶ崎の歴史が綴られてて愕然としました。
如何に何も知らず、知らされず、差別意識だけ育まれたのか、戦後の教育のありようについても考えさせられました。
詳しくは ☞ 大阪市と釜ヶ崎の成り立ち