堀川今出川交差点からすぐに鎮座する白峯神宮。
帰る時に撮影 15:07
10分ぐらいは滞在してたと思いますが、
聞くと見るとは大違い、ここにもありました(^^);
では時間をさかのぼって、参拝しようとなったいきさつから
観光的にも有名な京都のミステリースポットです。
六道珍皇寺と御霊神社は行ったことありました。
白峯神宮は、なんとなく恐ろし気で全く行こうと思ったことなかった。
たまたま北野天満宮から今出川通りの地図見てたら、もっと西にあると思ってた白峯神宮がこんなとこにあったと知った。
以前、おどろおどろしい記事アップしてます。
2017-07-11 明治は崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させ白峯神宮を創建され始まった
参拝事前予習したら、11/23は新嘗祭で
煎茶道方円流による「献茶祭」、日供講大祭、
夕刻には御火焚祭を斎行
これなら人でも多いだろうと、おっかなびっくりで参拝してみようかと。
門をくぐるとすぐに拝殿
左側でお茶会が催されてて人がそこそこいましたので、そちらは行かずに本殿でまずご挨拶。
ココにも人がいたので撮影はしませんでしたが、目がテンに。
というのはサッカーボールとかがごちゃごちゃいっぱい供えてあって、どういうこと?
本殿右奥には潜龍社(せんりゅうしゃ)
水神さんが祀られてて、ちょうど例祭を終えたとこでした。
昭和30年11月23日に本殿にて御火焚祭斎行中、火炎の中に出現せられたのをもって、水神(潜龍大神)として御宮を創建、翌年より今日に至るまで11月23日には毎年潜龍講大祭が斎行
右側にはいろんなお社とかが雑然 m(--)m と並んでた。
地主社
白峯神宮の社地は、蹴鞠の宗家であった堂上家(公家)・飛鳥井家の屋敷の跡地
精大明神は蹴鞠の守護神であり、現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神
なるほど、この精大明神がメインで、蹴鞠の守護神としてサッカーだけでなく球技全般、スポーツする多くの若者が参拝に訪れてたことを知る。
蹴鞠の碑
シニアには関係なさそうだけど、石珠を撫でてくるくる回しておいた。
小倉百人一首77番 崇徳院の歌が刻まれていました。
ココだけが唯一、崇徳院の霊を慰めるために祀られたことを思い出させる碑でした。
小賀玉の木(おがたまのき)は立派でした。
時は幕末、第121代孝明天皇が、異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるためその神霊を京都に遷座するよう幕府に命じられた。
命令した直後に孝明天皇が崩御され、第二皇子である明治天皇は、東京へ赴く前に父帝のご意志を継いで創建されたのが、1868年(慶応4=明治元年)9月6日。
なんで、700年前の崇徳天皇の呪いを恐れたかは
明治は崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させ白峯神宮を創建され始まった で
白峯となる前は、精大明神として祀られてた飛鳥井家とは
飛鳥井(あすかい)
手水舎の飛鳥井は、清少納言が『枕草子』168段に
『井は、ほりかねの井。走り井は逢坂なるがをかしき。山の井、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井「みもひも寒し」とほめたるこそをかしけれ。玉の井、少将ノ井、櫻井、后町の井。千貫の井。』と九つの名水の中にあげてほめ讃えたものだった。
11月の献茶式では、この水が汲み上げられてお茶を点てられ、奉献されるようです。
おそれおおくて近づきもしなかったけど。
飛鳥井家は、藤原房前(藤原不比等の次男)を祖とする藤原北家。
小倉百人一首の選者である藤原定家もこの藤原北家の家系。
蹴鞠だけでなく和歌にも通じた家柄で、多くの歌人を輩出している優秀な血筋ですってよ。
蹴鞠が他のスポーツと違うところは、「無勝敗」であり、これが相違点であると同時に蹴鞠の大切な本質でもあるそうです。
詳しくは、平和を伝えるスポーツの神様 で
一部引用させてもらいます
日本での蹴鞠の歴史は、今からおよそ1400年前に、仏教などと共に中国から伝来されたことに始まります。
中大兄皇子が藤原鎌足と蹴鞠の会を機縁に・・・
その後、蹴鞠は中国や東南アジアでは全く衰えていくのに反し、日本では独自の発達をみせます。・・・
蹴鞠は皇族達との縁が深かったために、貴族たちの単なる遊戯でしかないと誤解されがちですが、階級、性別に関わらず、蹴庭に入れば身分の差がなくみんな平等となり、人々に広く楽しまれたことが古い記録や古文書、浮世絵などから見受けられるようになりました。
たとえば、年齢に関係なく、親、子、孫の3代が同座して蹴鞠をした記録や、女房や女官たちの蹴鞠の図や版画が当時の雑誌とも言える「草紙」などに描かれています。
このような蹴鞠の発展には、蹴鞠と和歌を共にたしなむ「歌鞠両道(かきくりょうどう)」を称え、厳しい階級制度を緩めるための方策として、蹴鞠を大いに奨励したのではないかと考えられています。
そのため封建制度下にありながら、誰もが楽しめる球技として蹴鞠が普及したのでしょう。
階級、性別、年齢を超えて、平和と平等をメッセージする蹴鞠。
「無勝敗」であることの意味は大きい。
鞠を蹴ることで天下泰平、五穀豊穣、心身の強健、一家の繁栄と平和が祈念されてた。
崇徳天皇八百年祭に当たる昭和39年(1964年)に、昭和天皇は、香川県坂出市の崇徳天皇陵に勅使を遣わして式年祭を執り行わせています。
今上天皇は白峯さんに参拝されたことおありかどうかわかりませんが、怨霊を御霊信仰としてではなくとも、平和と平等を願ってお越しいただきたいなと。