この地図の左下に榎木大明神、さらに上に朝日神明社跡。
南大江公園でソフトクリーム食べながら休憩してたら、この公園に以前来たことあると思い出しました。
というのは、公園の西南角に⛩
こんなシチュエーションまずないでしょ。
ソフトクリーム食べてて撮影画像ないのでネットで拾ってきて貼り付けましょう。
南大江公園 東南角の入口
↑こちらのサイトの説明では、
「面積は5000平米ほどで市街地にしては大きめなのですが、ほぼすべてが子供向けの広場と遊具広場になっており、思う存分遊べる公園となって・・・
公園の西隅には狸坂大明神が鎮座しています。
その横にある解説板には、「ここには平安時代から明治の終わり頃までは朝日神明社というお社があったが、それが此花区へ遷座した後に狸坂大明神が奉られた」
どうやら明治40年(1907年)に、こちらにあった朝日神明宮と、大阪市此花区の皇大神社を合祀し、
東向きの朝日神明社(此花区春日出中1-6-21)に。
2012年お正月に熊野街道を、天満の八軒屋から南下して榎木大明神まで歩いた、その時に参考にしたのが、最初にアップした地図です。
だからこの公園にも立ち寄ったのに、当時神明社には全く興味なかったから記憶に残らなかったのでしょう。
4/30に参加したウォーキングは「難攻不落の大阪城・真田丸から熊野街道コース」で、その地図には、昼食ポイントとして朝日神明社跡は記載されてなかったのでした。
普通ならこれで話は終わるのですが、先の記事で北浜でドロップアウトした続きの地図で、お初天神(露天神社)が載ってました。
それをみたりひとさんのコメントで、露天神を改めて調べてみたら、
露天神社(つゆのてんじんしゃ)
祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱の神を祀る。
社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされる。
創建は西暦700年頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている。
お初天神としてしか認識してなかったので意外な発見でした。
そしてここに境内社として西向きの夕日神明社。
朝日神明社・夕日神明社、もうひとつ南向きの日中神明社があって、浪速三神明という。
日中神明社は、大正13年(1924年)8月内平野町1丁目にあったが、 現在地大阪市大正区鶴町2丁目7-29へ移転している。
ちなみに日本七神明とは、
東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮
今まで神明社参拝で記憶あるのは、長野県の仁科神明宮しか記憶にない。
2010-09-23 夏から秋へ
こんなタイトルでは自分で読み返すこともないわね。
>今晩の大阪の夜空は、きれいな満月と木星を眺めることができます。
なんて書いてて、今年4/30の満月と同じやん、とまたまたシンクロ!
さらに神明社といえば
2018-04-21 いつなんどき at any time, every moment
の記事で書きましたが、鳥羽神明社
神明社、来てるやん。
なんで神明社が700年ごろにあちこちに祀られるようになったか。
その元をただせは、白村江の戦いにあったに違いない。
663年日本が百済救援のために唐・新羅軍と戦って大敗!
学生時代には単なる歴史的事件の単語としてしか認識してなかったので、この機会におさらいしてみましょう。
数あるサイトの中から
白村江の戦い
「白村江の戦い」 の なんで? ー本編 その1ー
だって今、朝鮮半島は風雲急を告げてますから。
歴史は繰り返すものだし、歴史から学ぶことも多いし。