大念仏寺で法要終えて、お食事はあのナニワイバラの和庵へ。
花梨の大きな黄色い実がどっさりたわわに実ってた。
下にもいっぱい落ちてた。
花梨って空海が遣唐使の帰りに持ち帰ったと聞いたような。
確認のため調べてました。
「満濃池関係資料集」によれば,空海が手植えしたカリンは,もともとインドのアンラ宮殿に繁茂していたものを唐に移植し,空海が帰朝のときに持ち帰って,京都神泉宛に植樹したものだったという。つまり,まんのう町に持参される前に京都に持ち込まれていたのである。
詳しくは→ こちら
そのサイトの違うページに面白いこと書いてました。
さらに,藤原定慧が唐からの帰国(678年)の際に持ち帰ったといわれる談山神社の「菴羅樹(安蘭樹)」が当初よりカリンであったとするならば,その渡来はさらに遡って飛鳥時代ということになるのだが・・・?