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Channel: 秋麗(あきうらら)
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奈良上つ道を歩いてみたもの

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奈良から天理まで歩いていると、普段の車での移動と違っていろんなものが目に留まります。

古代、上つ道(かみつみち)と呼ばれた上街道は、
北は奈良坂から、南は桜井、山田道を経て藤原京に至る幹線道路のひとつ。
初瀬詣でや伊勢参りの人々がいきかう信仰の道となり、街道筋は今も当時の面影を残しています。



もうすぐ5月の節句なので、大きな武者幟を見ました。
大阪では見たことないです。

武者のぼりの起源は、「戦国武将の旗指物」
室町時代末期の武家社会には、
端午節句に旗指物(家紋を染め抜いたのぼり旗)を虫干しをかねて飾る風習がありました。
武家の風習を庶民がまねて、端午の節句に武者のぼりを全国各地で立てるようになり、
武者のぼりの風習は、あらゆる身分の人たちにまで浸透していきました。
江戸期は木綿が貴重だったため、多くののぼりが紙製でした。



幕末江戸日本橋十軒店の端午の節句の図(1870年)パリ・アシエット社版画



歌川国芳「しんば連 魚かし連 市川三升へ送之」 幟と鯉幟(見立て絵)1849年

鯉のぼりは武者のぼりの変形として考案されたもの。
節句の武者のぼりに古来より描かれていた鯉の滝昇り
江戸中期に、立身出世の図柄から作られた「鯉の小旗」が考案されました。
これがやがて大型の吹流しタイプである鯉のぼりに変化、独立したのです。


従来の絵画表現である武者のぼりに対し、
新しい立体表現の鯉のぼりは、明治大正以降主流となりました。
これは明治維新以降、伝統的な画法をもつ絵師が減った事も影響しています。


奈良では石屋さんもよく見かけます。

うちのゆうりもアンパンマン大好きです。



池の上全体に細い紐がくまなくはりめぐらされています。


金魚を養殖しているようで、鳥よけでした。


さらに歩いて、大和神社。


この神社の参道はとても長くて、一の鳥居からは社殿が全く見えない。
往復10分はゆうにかかりそう。



大和(おおやまと)神社
天理市新泉町306
祭神:大和大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)
   八千戈大神(やちほこのおおかみ)
   御年大神(みとしのおおかみ)


伊勢神宮と並ぶ最古の神社で、延喜式には「大和坐大国魂神社」と記されている。
大和一国の国御魂(くにみたま)を祭る名神大社である。

遣唐使が唐の都・長安に向けて派遣されるときは、出発に際して航海の安全をこの神社に祈ったといわれている。
第二次大戦中世界最大の不沈戦艦といわれた戦艦大和は、守護神として大和神社の分霊を艦内に祀っていた。

これを読んで、なんだか長い参道を歩いてお参りする気が失せてしまったのだった。


後で調べたら、

御祭神の大和大国魂大神と八千戈大神は、ともに大己貴神(おおなむちのかみ)の異名同神だった。

拝殿前の広場北側のやや奥まった場所に末社の「祖霊社」があり
国土の主と称えられている大国主命のほか、
第二次世界大戦で戦艦大和と運命を共にした2717柱の英霊、
沖縄決戦で戦没した巡洋艦矢矧(やはぎ)を中心とする第二水上特攻隊の3721柱の英霊が合祀され国家鎮護の神として祀られている。

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