檜尾山 観心寺
大阪府河内長野市寺元475
弘法大師空海が祈った場所が、金堂前にある礼拝石です。
折衷様建築の代表作とされる金堂は国宝です。
ご本尊の如意輪観音像も国宝で、脇侍の不動明王と愛染明王ともに秘宝、毎年4月17と18日に御開帳されます。
大宝元年(701年)
役小角が修行の一道場として雲心寺を草創
大同3年(808年)
弘法大師・空海が厄除のため観心寺で北斗七星に祈願したところ空から星が降りてきたと伝わる
弘仁6年(815年)
弘法大師・空海が再訪し、本尊の如意輪観音像を刻み本尊とされ、寺の名前を観心寺と改む
ここでは、如意輪観音は転輪聖王(古代インドの思想における理想的な王を指す概念)に例えられる
平安時代、国家安泰と厄除の祈願寺として、また高野山と京都の東寺との往還の中宿として発展しました。
鎌倉時代には、54ヶ寺を有す大規模な塔頭寺院で楠木正成ゆかりの寺でもあり、これはまた後日に書きます。
大同3年(808)弘法大師空海が、金堂前にある礼拝石に座り勧請した北斗七星の塚は、空から降ったという7つの自然石を祀られています。
空海がこのお寺に訪れた時、人の力ではどうにもならない災難から衆生を救うため、境内に北斗七星を勧請し その中心となる如意輪観音像を彫られた。
厄除のために本尊と一緒にお祀りしたもので、昔からこの星塚を一巡することで、その年の厄が払われると言われています。
このことを出発前の予習で知り、今年の厄を払っていただこうと思ってたのです。
そして日本国土国家の安泰と暮らす人々の安寧を祈ろうと思ってました。
ところが、
金剛山ハイキング切符、皆の分預かってたのに、金額にして12,750円ではありましたが、落としてしまったのです。
たぶん、バスの中で。
とりあえず南海電鉄の河内長野のバス営業所には連絡したので結果待ちの状態。
頭の中は自分のしてしまった失敗で、この後どうしようでぐるぐる。
とても国家安泰まで祈ることができませんでした。
お友達も、切符見つかりますようにと祈ってくれたそうです。
巡礼の仕方
1 金堂を参拝
2 金堂前の石段左側から時計周りに星塚を回って一つ一つ合掌・礼拝
3 最後に金堂前の石段右側にいる鎮守神、訶梨帝母天(カリテイモテン)を参拝してして締めくくる。
星塚一つめの 貪狼(トンロウ)星を参拝し終えたところで電話かかりました。
12:45に往信して、返信の電話が13:02
なんとまぁすばやい対応。
金堂と、星塚ひとつを拝んだだけなのに。