因幡の山間、八上の八頭町には3つの白兎神社があります。
その地には道祖白兎大明神として祀る白兎伝説、それは天照大神降臨伝説でもありました。
八頭町のサイトには以下のように記されています。
“昔、天照大神が中山に降臨された際、仮の宮を作ってしばらく滞在しようとされたところ、1羽の白兎が現れ、大神の裾をくわえて道案内をしました。それに従われると、中山から尾根続きに2つの大石があり、そこへ案内したとのことです(伊勢ヶ平のこと)。
大神は、しばらくそこで仮住まいをした後、因幡と但馬の国境の山を超えて去って行きました。この時道案内をした白兎は、実は月読命の御神体だったので、「道祖白兎大明神」として、中山の尾根続きの4ヶ村の氏神として崇める事になりました”
大雪の鳥取に「兎」を追う (朝日新聞署名記事:松原雅己)でわかりやすい地図もらってきました。
前後編にわかれてます。
2011/02/18 2011/03/04
観字紀行という趣向で、漢字からうさぎを追いかけてます。
よくよく見たら、うさぎの漢字が異なってます。
左:白兎海岸の白兎神社一の鳥居右側の石柱
鳥居左右に石柱あり、建てられた年代が左は昭和38年、右は昭和6年で字も異なるということをこの記事で知りました。
自分が撮影した画像みたら、本殿の偏額にも同じ漢字でした。
説明文も引用させてもらいます。
上の部分が普通はカタカナの「イ」のように見えるのに対し、白兎神社の兎は「ノ」
白兎神社の河上博一宮司に尋ねると「私はノの兎を使っています。鳥居の額などはノを使っているが、案内板は兎だったりします。こだわりはありません」とのこと。
この神社にまつられる白兎神はただの動物ではないので、あえて変わった字体を使うよう代々受け継がれてきた……などというエピソードがあれば面白いのですが、ちょっと拍子抜けですね。
白兎神社で使われる「ノ」の兎は、神社の中だけの独特の字
右:福本の白兎神社鳥居
上の部分は「刀」「儿」の右に「ム」
白兎神話を研究している大江幸久さんは著書「八上 神秘の白兎と天照大神伝承」のなかで、「白兎は神の化身であり…普通の兎とは異なることを、文字で示さんがための意図的な文字の改造」ではないかとの説を唱えています。
たしかに「ム」にすることによって、「魂」「鬼」といった、単なる動物ではない、「この世のものとは違う」イメージを持たせたかったのかもしれませんね
引用ここまで
うさぎ [兎 兔 菟]
兎=新字体(常用漢字)で、兔=旧字体、
兔の本字は 「ク」でなく「刀」だそうです。
因幡の白兎①で、たぬきさんがコメントしてくださいましたが、
『古事記』では「稻羽之素菟」(稲羽の素兎)と表記。
くさかんむりがついた『菟』もウサギを意味する漢字で、この字を使った例は
兵庫県香美町(旧香住町)の醸造元「香住鶴」が7年前に「稻羽之素菟」を2500本限定生産。
2010年秋に山陰海岸が世界ジオパークに認定されたことと、古事記編纂(へんさん)1300年をお祝いする記念として造られた。
奈良の大神神社はみ~さんの神様だというのに、なでうさぎがあって、こう説明されてます。
「神託に従って大田田根子に大物主神を祭らせたご神意の日が、卯の年、卯の日だったので、「卯」をご神縁の日としことのほか大事にされています。
なでうさぎは江戸時代中期から大神神社に伝わるもの」
2008-11-16 大神をおおみわと呼ぶ不思議 の記事の最後に、
次は「因幡の白兎」を調べてみます。
と記してから月日が流れ、2011/3/11 東日本大震災が発生。
その二日後、卯の年、卯の月、卯の日と、12年に一度3つ卯が重なった日に奈良の大神神社を参拝して、
2011-03-13 原発制御を祈りました
そのときに撮影した上の画像「なでうさぎ」です。
摂津の国一宮は住吉大社、ここにも、なでうさぎいます。
糸魚川産翡翠の玉兎は、奉納は平成二十三年卯歳元旦、2011年です。
手水舎も神兎でよそとは違うとこです。
2012-01-10 おもかる石
住吉大社と兎
兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年の卯月の卯日であるご縁により奉納されたものです と説明書きがあります。
境内北に「卯の花苑」もあり「卯の葉神事」も。
大神神社も住吉大社もなぜ「卯」を吉日とするのか?
さて、十二支の4番目は「卯」で示されます。
時刻では午前六時、方角は東。
インドのジャータカ物語ではうさぎは火を消す力があると考えられていたとか、
そして帝釈天に月に昇ることを許された動物であるとか、、
中国でうさぎは月でお餅ではなく不老長寿の薬を作っていると信じられているとか、…
ちょっと見方を変えて、
「う」とよむ漢字は
宇、羽、雨、卯、鵜、烏、迂、兎、有、右、芋、菟、胡、得、字、憂、種、生など…
漢字の読みからの妄想で
2011-03-14 卯から連想してたどりついた禹
崇神天皇の時代、疫病の蔓延によって人民の半数が死ぬという事態が起こり、これは宮中にアマテラスと大物主を祀ることによる祟りだと。
古代、祖先霊は直系の血の繋がった子孫に祀られないと恐ろしい祟りをもたらすと考えられていたからです。
そこでこの2神を宮中から出し、その子孫を捜し出し、祖先の祭りを行わせるようになりました。
・・・
なぜ、「卯」「兎 兔」なのか結局はよくわからなったのだった。
方角を十二支の動物で表していた時代、真北を子、東を卯、南を午、西を酉にあてはめて
地球上での南北線を子午線(しごせん)
東西線はある点Pを通る子午線に対し垂直で東西を示すのが卯酉線(ぼうゆうせん)
今年は酉年、あらためて東西に意識向けて再考したいと思います。
その地には道祖白兎大明神として祀る白兎伝説、それは天照大神降臨伝説でもありました。
八頭町のサイトには以下のように記されています。
“昔、天照大神が中山に降臨された際、仮の宮を作ってしばらく滞在しようとされたところ、1羽の白兎が現れ、大神の裾をくわえて道案内をしました。それに従われると、中山から尾根続きに2つの大石があり、そこへ案内したとのことです(伊勢ヶ平のこと)。
大神は、しばらくそこで仮住まいをした後、因幡と但馬の国境の山を超えて去って行きました。この時道案内をした白兎は、実は月読命の御神体だったので、「道祖白兎大明神」として、中山の尾根続きの4ヶ村の氏神として崇める事になりました”
大雪の鳥取に「兎」を追う (朝日新聞署名記事:松原雅己)でわかりやすい地図もらってきました。
前後編にわかれてます。
2011/02/18 2011/03/04
観字紀行という趣向で、漢字からうさぎを追いかけてます。
よくよく見たら、うさぎの漢字が異なってます。
左:白兎海岸の白兎神社一の鳥居右側の石柱
鳥居左右に石柱あり、建てられた年代が左は昭和38年、右は昭和6年で字も異なるということをこの記事で知りました。
自分が撮影した画像みたら、本殿の偏額にも同じ漢字でした。
説明文も引用させてもらいます。
上の部分が普通はカタカナの「イ」のように見えるのに対し、白兎神社の兎は「ノ」
白兎神社の河上博一宮司に尋ねると「私はノの兎を使っています。鳥居の額などはノを使っているが、案内板は兎だったりします。こだわりはありません」とのこと。
この神社にまつられる白兎神はただの動物ではないので、あえて変わった字体を使うよう代々受け継がれてきた……などというエピソードがあれば面白いのですが、ちょっと拍子抜けですね。
白兎神社で使われる「ノ」の兎は、神社の中だけの独特の字
右:福本の白兎神社鳥居
上の部分は「刀」「儿」の右に「ム」
白兎神話を研究している大江幸久さんは著書「八上 神秘の白兎と天照大神伝承」のなかで、「白兎は神の化身であり…普通の兎とは異なることを、文字で示さんがための意図的な文字の改造」ではないかとの説を唱えています。
たしかに「ム」にすることによって、「魂」「鬼」といった、単なる動物ではない、「この世のものとは違う」イメージを持たせたかったのかもしれませんね
引用ここまで
うさぎ [兎 兔 菟]
兎=新字体(常用漢字)で、兔=旧字体、
兔の本字は 「ク」でなく「刀」だそうです。
因幡の白兎①で、たぬきさんがコメントしてくださいましたが、
『古事記』では「稻羽之素菟」(稲羽の素兎)と表記。
くさかんむりがついた『菟』もウサギを意味する漢字で、この字を使った例は
兵庫県香美町(旧香住町)の醸造元「香住鶴」が7年前に「稻羽之素菟」を2500本限定生産。
2010年秋に山陰海岸が世界ジオパークに認定されたことと、古事記編纂(へんさん)1300年をお祝いする記念として造られた。
奈良の大神神社はみ~さんの神様だというのに、なでうさぎがあって、こう説明されてます。
「神託に従って大田田根子に大物主神を祭らせたご神意の日が、卯の年、卯の日だったので、「卯」をご神縁の日としことのほか大事にされています。
なでうさぎは江戸時代中期から大神神社に伝わるもの」
2008-11-16 大神をおおみわと呼ぶ不思議 の記事の最後に、
次は「因幡の白兎」を調べてみます。
と記してから月日が流れ、2011/3/11 東日本大震災が発生。
その二日後、卯の年、卯の月、卯の日と、12年に一度3つ卯が重なった日に奈良の大神神社を参拝して、
2011-03-13 原発制御を祈りました
そのときに撮影した上の画像「なでうさぎ」です。
摂津の国一宮は住吉大社、ここにも、なでうさぎいます。
糸魚川産翡翠の玉兎は、奉納は平成二十三年卯歳元旦、2011年です。
手水舎も神兎でよそとは違うとこです。
2012-01-10 おもかる石
住吉大社と兎
兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年の卯月の卯日であるご縁により奉納されたものです と説明書きがあります。
境内北に「卯の花苑」もあり「卯の葉神事」も。
大神神社も住吉大社もなぜ「卯」を吉日とするのか?
さて、十二支の4番目は「卯」で示されます。
時刻では午前六時、方角は東。
インドのジャータカ物語ではうさぎは火を消す力があると考えられていたとか、
そして帝釈天に月に昇ることを許された動物であるとか、、
中国でうさぎは月でお餅ではなく不老長寿の薬を作っていると信じられているとか、…
ちょっと見方を変えて、
「う」とよむ漢字は
宇、羽、雨、卯、鵜、烏、迂、兎、有、右、芋、菟、胡、得、字、憂、種、生など…
漢字の読みからの妄想で
2011-03-14 卯から連想してたどりついた禹
崇神天皇の時代、疫病の蔓延によって人民の半数が死ぬという事態が起こり、これは宮中にアマテラスと大物主を祀ることによる祟りだと。
古代、祖先霊は直系の血の繋がった子孫に祀られないと恐ろしい祟りをもたらすと考えられていたからです。
そこでこの2神を宮中から出し、その子孫を捜し出し、祖先の祭りを行わせるようになりました。
・・・
なぜ、「卯」「兎 兔」なのか結局はよくわからなったのだった。
方角を十二支の動物で表していた時代、真北を子、東を卯、南を午、西を酉にあてはめて
地球上での南北線を子午線(しごせん)
東西線はある点Pを通る子午線に対し垂直で東西を示すのが卯酉線(ぼうゆうせん)
今年は酉年、あらためて東西に意識向けて再考したいと思います。