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不思議だなと思う心間違い探しが苦にならないこれがものの鑑定に役立ちます

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    宇佐神宮の境内図です。
    団体での限りある時間で先達さんの後をついて歩きながら、目に留まったものを撮影したあれこれ画像を貼り付けておきます。

    このブログ内の検索で、「二礼四拍手一礼」で見ていただくといくつかの記事がヒットしますが、弥彦神社参拝記録で以下のように書いてます。

    「あとその他に、弥彦神社がちょっと違ってることは、
    二礼四拍手一礼
    出雲や宇佐と一緒ですね。
    私の大好きな、富田林の美具久留御魂神社もそうです。」

    なんかご縁があるのでしょう。

    八幡神については、ご参考までに数あるサイトの中から一つだけでもお知らせしておきますので、そちらなどでご覧くださいね。

    八幡神の謎






















    後で脚注付けれるのものは追加します




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    旅の初日最後にお参りして拝謁できたのが
    大威徳明王像、神の使いである水牛に跨ったお姿で6つの顔は六道、6本の手で法を守護する武器を持ち、6本の足で六波羅蜜を表してるそうです。

    中央に阿弥陀如来座像は四天王立像に守護されておられます。

    ともに大きすぎてここから動かせない。
    六郷満山開山1300年記念に非公開文化財が特別公開されるにあたり、九州国立博物館に搬出できなくてこの地に来ないと拝顔できません。



    3つ並んだ国重要文化財の右端が、
    二童子立像を脇に不動明王の三尊形式。
    火炎が勇壮で迦楼羅火焔、初めて見ました。
    木製不動として日本最大、勇壮で威厳あり心奪われます。

    今はガラス張りのお部屋で普段は中に入れませんが、今回は特別公開でお像近くまで行けて周りをぐるっと、後ろ姿もじっくりと。
    昔は水牛の上に乗ったりしてたそうです。






    真近で拝ませていただいてからお堂の周りを巡ります。
    多くの石像文化財が残されています。







    真木大堂の隣に古代文化公園がありましたが、時間がなくて遠景で眺めただけ。



    熊野摩崖仏からすぐ近くで、到着したのは16時前だったかな。






    六郷満山65ケ寺のうち本山本寺として36坊の霊場を有した幻の寺院であった馬城山伝乗寺。
    奈良時代、元正天皇の時代に建立されたと伝わるが、仏像の作風から見てみて平安時代と思われるらしいです。
    往時は広大な境内の中に七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院でした。

    旧本堂の扉に菊花紋がありました。
    これは、元寇のおり、鎌倉幕府は六郷満山の寺院に異国降伏の祈祷を行うよう施行状を発した。
    その恩賞として将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が下賜されました。



    現代の真木大堂は、伝乗寺の各寺坊が衰退したので本尊を一堂に集めガラスの収蔵庫におさまっています。
    実に圧巻です。
    また機会があれば足を運びたいと思いました。






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    旅の2日目、国東半島真ん中の両子山1時の方向、文殊山(614m)中腹にある文殊仙寺へ。
    別府のホテル出発が8:30だったので、この画像撮影10:17まで1時間半は要してます。





    出発前の予習で参道階段330段と知ったので覚悟してたけど、やっぱりね。



    やっと到着。



    本堂左手に役行者が祀られていて、まずこちらでご挨拶してからお参りくださいとのこと。

    648年に役行者開基と伝わる、日本三大文殊の一つの古刹です。
    大化4年にあたり、大和で揉めてるややこしい時期、役行者は九州にいたんですね。

    3人寄れば文殊の知恵、のことわざの元ともなった文殊寺院だとどこかで見たけど今記事にするときに見つからず。




    いよいよ護摩修行参列です。
    檜の護摩木に祈願依頼されたい人は一本千円。
    24枚がお焚き上げされましたが、もちろんそれ以外にも燃やす木は十分用意されてました。



    神仏習合ですから、護摩台正面に神社みたいな鏡置かれてます。





    火の粉が飛んでます。





    先の記事の真木大堂で見た不動明王の火焔迦楼羅みたいに、焔は自由自在。





    この時護摩焚きされてた僧は、右手大太鼓へ移動し太鼓を叩きながら、参列者皆で般若心経を唱えました。

    勝尾寺を思い出します。
    太鼓の振動波動が体に浸透していく感じです。


    山を下る時に



    立派な千年ケヤキ



    かなり上まで大型バスも通行できるような立派な車道が整備されてて、帰りは階段をすべて降りることなく助かりました。
    この参詣した5/22、その駐車場に工事など建設車両がたくさん駐車してました。
    夜間のライトなどを設置するようで、近いうちになんかイベントあるんだなと思えました。


    Wikiページによれば、
    毎月25日は文殊菩薩の縁日であり、本殿文殊堂にて護摩焚き祈願が行われ、参拝者には昼食のお接待が用意される。


    護摩祈祷とか大がかりに行われるのでしょうか。

    一般的にお寺も神社も中での撮影は禁止されてますが、この文殊仙寺はどうぞということで、以上の通りです。

    ホームページも副住職さんのファイスブックもガンガン発信されてて、新しい形の寺社経営されてるのでしょう。

    古い伝統を大事にしながら、現代のSNS投稿などで拡散してもらい参詣客を増やす工夫。

    お金のこというたらなんですけど、団体の護摩祈願は3万円だそうで、各個人からの護摩木24本で2.4万円。
    ということはあの一連の護摩祈願祈祷1時間ほどで5.4万円。
    さらに拝観料や、納経帖とかで…

    HPご覧になればわかるように、護摩祈願申し込みとか、写経体験とか申し込みと費用が真っ先にわかるページ作りですね^^

    批難しているのではありません。

    レプリカとか公開してないのに、撮影禁止とかワケワカランとこいっぱいありますから。
    そちらの方が今の時代に合致してませんし、それでは次の時代に継承できるか心配です。

    今回のツアーで先達を務めてくださったお寺の住職さんは経営厳しく、先達としてアルバイトされてるのかもしれません。


    11:40ごろ出発し次の富貴寺へ向かいます。






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    お昼前に文殊仙寺を出発し、両子山の7時の方向にある富貴寺に着いたのは12:30頃。





    まだお昼食べてないけど、隣の蕗の薹(ふきのとう)さんで蕎麦を調理される間に住職さんの説明を聞く。
    ご子息の副住職さんが蕎麦打って提供されてると聞きました。




    目の前に大きな銀杏の木



    平泉の中尊寺金色堂、宇治の平等院鳳凰堂と並び三大阿弥陀堂なんだって。
    知らんかった〜

    九州最古の木造建築物で国宝です。





    堂内に上げてもらう前にお食事に





    13:18 撮影
    蕎麦が出てくるのを待ってられなくて食べ始めた。
    蕎麦来たら撮影するのすっかり忘れて完食。


    続く



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    立派な宝形造りの屋根の富貴寺本堂の内陣には阿弥陀如来像が安置されています。
    壁や長押、柱には平安時代の壁画や文様が、だいぶ禿げてますがかなり残ってる部分もあり、さぞかし壮麗であっただろうことが伺えました。

    阿弥陀如来像の周りを壁画とか見ながらまわると、真後ろに白山権現神像が置かれてました。

    いつもそこにおられるのかどうかは聞きそびれましたが、今回の六郷満山1300年で非公開文化財の特別公開だそうです。




    本堂と境内すぐ外に並んだ旅庵蕗の薹の間に白山神社がありました。

    階段下から遥拝しただけですが、白山姫のような神像は普段はこちらのお社におられるのでしょうか。




    初参詣がたまたまこの時期で、白山権現神像も、文殊仙寺の六所権現像も拝謁できてラッキーでした。







    お堂の外側もぐるっとまわれます。
    すぐ近くで暮らしてたら、大堂の内も外もぐるぐるめぐれていいなぁ。

    文化財の値打ちは分からずとも、心が落ち着くのは感じれますもん。




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    中世の六郷満山で最大の寺勢を誇っていたとされる長安寺。
    こちら長安寺でお接待を受けることができました。

    お茶うけに梅干しとか漬物とか美味しかった。
    お茶をよばれながら、見晴るかす眺望は気持ちよかった。





    富貴寺をおそらく2時前に出て、15:40には両子寺で画像残ってます。
    その間に参詣した長安寺ではスマホで撮影しなかった。
    1日に四ヶ寺も廻ると記憶がおぼろながら、これだという撮影ポイント見つけられなかったのでしょう。

    こちら長安寺は、花のお寺として有名らしいですが、4月のシャクナゲ終わってるし、アジサイにはまだ早いし…









    木造太郎天像(国指定重要文化財)を拝見に行ったのでしたが、画像はありませんのでネット拝借。

    「明治に入って神仏分離が行われるまでは、この寺の背後にある六所権現社の主神として祀られていたもので、国の重要文化財に指定されている。」



    この立札をデジカメ撮影したのは、
    左最後の、産小屋解説が気になったから。

    「不浄道から上の居住者で妊婦が産気づくと産小屋で出産する
    忌明けを待って産婦は目出度く家に帰る故習が今もなお受けつかれている」


    あと長安寺さんで拝見したもので、興味深かったものは



    戦時中の千人針、初めて実物を見ました。



    中世の六郷満山で最大の寺勢を誇っていたとされる長安寺。
    鎌倉期には六郷山の惣山として満山100余ケ寺を統治し学頭職として満山約1000の僧侶を統率していたという。

    この寺の背後にある六所権現社の木造太郎天像を安置することで参拝客が来る。

    時節は巡り、何が幸いするかわかりませんね。



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    5/22 15:40撮影
    両子寺の駐車場がかなり上の方に設けられてて、必見の仁王像山門が見れないのです。



    それはあかんやろと交渉して階段参道引き返すことになりました。

    県道から参道へ入る無明橋の手前で降車させてくれたらよかったのにね。




    引き返したことにより人が溢れていい写真撮れない。

    デジカメ撮影画像は






    ただただ外人観光客に出会うことない国東半島でした。
    特に中国人は自撮りとか始めマナー悪い人多いから、今のうちなら空気も清冽。


    出会ったのは蛇。


    また階段上がって参拝入口へ


    「感謝し楽しく暮らせ
    今日の日を 不平を言っても同じ一日」


    両子寺は天台宗別格本山なんですね。
    Wikiの天台宗の本山寺院みたら

    総本山は比叡山延暦寺で、門跡寺は8つ、
    別格大寺は、寛永寺・中尊寺・善光寺大勧進の3寺
    両子寺は特別寺として表に記載されていました。


    書院・客殿も大正時代の旅館の風情で立派でした。

    つづく






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    5/24夕方に撮影しました。
    貸し駐車場の奥にビワの木があるのは知ってました。
    2年前ギズモが亡くなる前、腫れた肩にビワの葉っぱを火で炙って湿布したら効くかもと教えてもらい何度か無断で頂戴したから。

    でも実がこんなにたわわに実ってるのは初めて見ました。
    遠目に花が咲いてるのかと思ったほど。



    ちっちゃいけど美味しそう。

    そして今日夕方ふと見たら下にいっぱい落ちてる。
    それならと、無断で一枝



    となりに腕時計並べて撮影しましたが、その小ささわかるでしょうか。
    味は凝縮した濃い味で美味しかった。


    ところで、ビワを見つけた頃からずっと国東半島の旅の記録書いてます。
    なぜかここ数日たくさんの方がアクセスしてくださり驚いています。




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    いったい何がヒットしてるのでしょう。
    不思議(・・?)

    両子寺の後半書いたら六郷満山は終わります。
    早よ書かんと忘れるから。

    後もうちょっとよろしくお付き合いください。

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    童こけしのようなシルエットがくり抜かれてます。
    不思議な形の絵馬ですね。
    なぜこういう形になったかを聞くチャンスなかった。








    本尊が不動明王の護摩堂にあげていただいて、皆さんご一緒に般若心経唱えました。
    両子寺のお坊さんから由緒や独特な子授け祈願のことを伺いました。

    その申子子授け祈願袋と趣旨はこちら
    まるまる引用コピペさせていただきます。

    子宝にあやかりたい人は、必ず、夫婦同伴の上、午(うま)の日に袋と供物と祈願料を添え、参拝するなわらしがある。
    即ち、33枚のハギレ(8~10cm四方)を集め、一針ごとに真心を込めて、裏地 ・ 底をつけた袋を作成し、米一升三号三勺(2.2kg)と12把の線香、12本のローソク、御酒(一升)をお供えし、祈願をうける。
    また、願成就された方は、毎年かならず一度は子供と参拝する。殊に旧暦初午大祭は、昔から大変な賑わいで有名である。

    ※子供を産んだことのある32人の女人からハギレをもらい、自分の一キレを加えて33キレで巾着袋を作る。
    大きさは米が一升三合あまり入る程度。袋の内側には裏地を付け、その裏地に夫婦の住所、名前を書くこと。

    ◆毎月午の日が祈願日で、時間は原則として午前中です。
    ◆祈願を受ける方は、必ず予め連絡してご来山下さい。
    (祈願当日でも電話連絡をしてください)
    ◆奉納金 18,000円
    ◆祈願の代参はできません。必ず本人同志で参拝ください。
    ◆詳細はお電話等でお尋ねください。TEL 0978-65-0253





    足曳山両子寺は六郷満山中山本寺にあたります。
    山岳修行の道場で、六郷満山峯入の最後の結願法要が行わるのが両子寺です。

    まだ体力残ってる人は、さらに上の奥の院めざしましょうと16:15頃出発。


    山門入口の仁王像は勇壮で立派でしたが、この奥の院への仁王像は国東半島で最古だとどこかで見たような。









    奥ノ院の現在の本殿は、1846(弘化3)年 杵築藩の松平親良の寄進によるもの。
    十一面千手観音と両所大権現が祀られています。



    左手に、子授け祈願の巾着袋がありました。


    奥の院本殿は、大きくせり出した岩の下に建てられていて、左手に裏の洞窟への入口があります。





    岩から染み出る霊水は見ただけでいただきませんでした。
    砂とか混じってたし…




    絵馬中央に十一面千手観音、
    左右に両所大権現はこの両子山に降臨なさった神々でしょう。

    どんないきさつでここに来られたんだろうと気になり調べてみると、滝沢馬琴の「豊後国両子寺大縁起」と「両子寺畧縁起」がヒット。
    両子寺54世豪円師の請いによって1815(文化12)年に書きあげられ、原本は早稲田大学図書館に保管されているそうです。


    六郷山両子寺大縁起 荏土 瀧澤解撰

    豊後國國埼郡六郷山足曳の両子寺は、仁聞菩薩の開基にして日域最初の台教たり、
    葢惟れば、人皇四十六世の聖主元正天皇の養老二年戌午の秋八月、法華序正流通の三段に分たる、
    三山凡廿八ヶ寺九十九ヶ所の精舎靈崛悉皆落成せり、
    葢開山仁聞大士は、震旦にては陳氏の皇孫、我朝にては應神天皇八幡大菩薩の権化たり、
    唐山陳の武皇帝は姓は陳氏名は覇先、はじめは梁の参軍たり、
    ?軍功あるをもて梁の將相に拝任せられ、禪を受位に即き高祖武帝と尊號せらる、
    帝微賤かりしとき一女ありて男子なし、そのおん女僅に7才、日輪口中に入ると夢みて忽地に懐妊し、
    七年の後安らかに男子を出産し給ひけり、
    その兒生るゝ時に當りて奇異甚多かりければ、祖父はいたく忌嫌ひて竊にこれを棄たりける、
    是よりして彼の兒は民間に生育ものから、幼少にして大志あり、年四才にして身長四尺、
    十三四歳の童子にまして、聡明叡智いふべうもあらず、
    常に日輪を拝しつゝ竊に天朝を景慕して、投化の情愿ふかければ、
    漫に濱邊に迷来て商船の底に隠れ、萬里の渡海輙くも大隅國銚子の浦磯の岸にぞ着給ふ、
    實に欽明天皇の十六年乙亥の秋八月、唐山は梁の天子敬皇帝の時にして紹泰改元の時に丁れり、
    かくて彼此の浦人等は、投下の童子が異なるさまを怪しと思はざるものもなく、
    その来歴を尋れば、神童答へて、われは、是梁朝にては陳氏の子たり、
    この土にしては第十六主譽田天皇の後身なり、
    素より朕が神靈は豊前豊後に迹を垂れ、百王鎮護国家安泰異敵降伏の本願を果さんと思うのみ、
    われ嘗て震旦の天台山を景慕して生を彼土に攀しかば、不?學して戒定慧の三學を相承し、
    生まれながらにして台教の淵源に泝りて、神釋二教成就せり、
    けふよりしてわが名をば八幡麻呂と唱ふべし、
    しかれども時なほ早かり、豊後の國崎に一座の山あり、
    われ且彼處に山居して時の来つるを待つべき也、
    今よりして彼嶽を両子山と唱へよかし、
    両子は即わが神靈一體分身して垂迹を神釋二教に示すの義なり、
    夫神道と佛法は一腹雙生の両子の如く、これを分てば異なれ共、これを寄すればいづれを兄孰を弟と決めがたし、
    或は又葢匣の義なり、(後略)


    引用元は ☞ こちらのブログ



    この記事書いてたら2回も消えたので、firefox やめて 
    自動保存された原稿残ってるうちに chrome に変えて投稿します。

    ひょっとして核心ついてるのかも、ね。


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    国東半島を観光バスで巡ってた時、車窓から峯入りの案山子が目に留まりました。
    しかし走行するバス車内から、あっという間に通り過ぎた一瞬の景色で撮影できなかった。
    土地勘ないから場所もわからない。


    「六郷満山 峯入り かかし」で画像検索して拝借しました。
    たぶんこれかな?


    これではなかったと思います。

    六郷満山は718(養老2)年 仁聞菩薩によって開かれたといわれ、その仁聞菩薩の教えに従い、現在も多くの修行僧が「峯入り」という修行で、仁聞菩薩の教えを実践しています。
    先月BS11で放映されてるのを視聴しました。

    二日目に先達を務めてくださった、願成就寺の若い副住職さんも次回は参列すると話されてました。
    確か長安寺で、その行に参列された僧侶の一覧表が掲示されてて、父親の住職さんのお名前が載ってました。

    かつては険しかった修行の道も、現在はトレッキングコースとして歩ける部分もあるそうです。





    文殊仙寺で公開されていた鬼大師坐像です。
    こちらのお寺では撮影禁止ではなくて護摩祈願の様子などご紹介できました。
    文殊仙寺の護摩修行参列で見た焔と太鼓の振動すごかった

    あの後、奥の洞窟のようなところで染み出る霊水知恵の水を頂きました。
    そして六郷満山1300年を記念して公開されてる鬼大師(元三大師)像を拝謁できました。
    さすがにここは撮影を遠慮したので、画像もらってきました。






    2015/9/19~2016/1/17@ 国東市歴史体験学習館

    六郷満山1300年の前夜祭として開催された展覧会のようです。
    ここには、仏と神と鬼が集う前夜祭というサブタイトルついてます。


    2017/9/13~11/5@九州国立博物館

    この催しでは、神と仏と鬼の郷というサブタイトルで、神が先になりました。

    そして、今年の「六郷満山開山1300年 」で検索すると、神仏習合発祥地、神様と仏様が初めて出会った地、神と仏の神秘のように、鬼が抜け落ちました。

    その鬼の伝承である修正鬼会は早春で、今回のツアー時期とずれていて、鬼にゆかりの寺を参詣しなかったこともあります。





    先に記した、九州国立博物館のサイトで
    六郷満山展~神と仏と鬼の郷~

    さすがにプロの仕事、見事にまとまってますので完全コピペさせてもらいます。
    以下の「第三章 国東の神と仏と鬼」をご参照ください。
    いつかまたチャンスを作り、国東半島の鬼を観に行きたいと思います。


    第一章 古代宇佐の仏教文化
    遠く異国より海を渡り、豊国に伝来した仏教文化。
    豊国の仏教文化は、大和の都や筑紫の大宰府の信仰と技術が融合しながら、形づくられていった。
    古代寺院を彩った華麗な瓦や岩窟に眠る古仏は、この地の仏教文化の成立過程を語る証人である。
    仏堂や塔は古くに朽ち果て、いまは礎石や瓦片などの痕跡を遺すのみであるが、それらのわずかな痕跡をつなぎ合わせたとき、往時の大伽藍が姿を表す。
    古代宇佐の地を舞台として、宇佐弥勒寺を中心に六郷満山への確かな胎動が始まっていた。



    第二章 六郷満山の祈り
    猛々しく切り立った岩山の麓ではじまった六郷満山の祈り。
    古代宇佐の仏僧は修行の場を求めて、国東半島の険しい山々、深い谷間へと移り住んでいった。
    国宝・富貴寺大堂を代表とする洗練された仏堂、それらに納められた仏の造形からは、彼らの敬虔な祈りの姿が垣間見える。
    末法の世に移ろい行く中、六郷満山は隆盛を極めていく。
    仏法守護の聖地である国東半島には、仏法を後の世に伝える経塚が各地で造営された。




    第三章 国東の神と仏と鬼
    古来、神と仏と鬼が共に在り、信仰を集めてきた六郷満山。
    宇佐神宮の影響のもと、天台寺院が数多く開かれたこの地には、神仏習合によって生み出された多くの神像や仏像が伝えられている。
    それらの造形の多彩さは、飛鳥時代以来培われてきた伝統文化と都からもたらされた最新の文化が接触し、刺激となり、融合した結果、ほかの地域にはない独自の文化が形成されたことに由来する。
    いまもなおつづく修正鬼会は、その生き証人ともいえる神と仏と鬼が集う祭儀である。



    第四章 国東の石造文化
    自然豊かな国東半島で育まれた力強く、素朴な石造物。
    両子山で産出する角閃安山岩、あるいは田染荘周辺にひろがる阿蘇溶結凝灰岩は、柔らかく彫刻に適した石材である。
    これらの豊富な石材を背景に、六郷満山では石を刻むことにより、様々な姿で信仰心が形となって現出した。
    絶壁に刻まれた磨崖仏、夥しい数の石仏と石塔、そして寺社を守護する仁王像は、宇佐国東の石造文化の象徴である。
    苔むした石仏や石塔は、六郷満山の繁栄ぶりを伝えながら、今は緑豊かな山野と美しい里山の中にたたずんでいる。



    今回のツアー参加者にもれなくいただけました。



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    この度の国東半島のツアーは、神社仏閣参りがメイン。
    新幹線で小倉に入り、帰路は博多から、別府で連泊。
    ツアー代金は二人部屋利用が62,800円で、二日目の昼食は含まれてましたが、初日と3日目の昼食はオプションで追加が2,700円。
    非公開のものが特別拝観できるとあれば拝観料もかかるでしょう。
    となれば、別府温泉で連泊といえども、いい宿は期待できないのはわかってました。
    それでも別府やし~
    めっちゃ期待してましたが、┐(-。ー;)┌

    一緒に行ってくださったお連れが、
    「感謝し楽しく暮らせ
    今日の日を 不平を言っても同じ一日」
    両子寺で見かけたあの言葉をかみしめましょうと言われました。

    宿泊したホテルから、予約しておけば鉄輪温泉に送迎してもらえるのを確認し、夕方ホテルに戻ったら鉄輪の日帰り温泉行こうとひそかに予定してました。
    ところが初日も二日目も見どころ満載で行程ぎっしり、ホテル帰着が予想より遅くなったので、鉄輪温泉はあきらめた。


    二日目夕食の時間までに海まで散歩することにした。
    海まで15分ほどの距離で、途中にJR線路があり踏切で待ってると



    ものすごく立派な車両が通過。
    あれあれ、これがうわさに聞く、ななつ星やんか!

    バッグからカメラ取り出すの遅れて通り過ぎてしまった。
    乗車したわけでもないのにテンションUP!!





    ネットで確認したら、ななつ星in九州
    このシーズンの行程にドンピシャ。






    博多をお昼前にでて、夕刻18時過ぎに別府について夕食をとり、その後大分へ、だって。
    ドレスコードまで記載されてました。


    九州新幹線が開通した2011年3月、その少し前にななつ星の構想が発表されたようで、当時のJR九州の唐池社長、やるなぁ~とあらためて感じいりました。
    高校の同級生というだけで、招待してくれるわけもないけど列車見ただけで気分高揚した次第です。




    別府港には、大阪へ向けて出港間際のサンフラワーが停泊していました。


    >じつは最初に八幡神が降りたって伝説があるんすよ。
    そっから宇佐に渡ったと。
    というコメントを、奇跡の一枚★USAのご神託や如何にの記事で頂いて、いろいろググってたら

    「道後の湯は、別府から地下の樋(とい)をかけて引いた」という伝説もある
    と知りました。

    「伊予国風土記にいはく」云々と記して
    湯の郡。大穴持の命(大国主命)が少彦名の命を仮死状態から蘇生させようと、大分の速見の湯(別府温泉)を地下の樋で引いてきて入浴させた。すると蘇生して元気よく足踏みをしたが、その足跡は今も湯の中の石の上にある。このように、神代だけでなく現在でもこの湯の効能はすばらしく、万病にきく。


    これが道後温泉の由来だそうです。
    平時代中頃には、藤原純友の乱というのがありましたが、その海賊団を豊予連合水軍が海峡を制圧したようで、地図を見ても九州と四国の豊後水道の間って、様々な交流があったのでしょう。
    現在では、海峡を結ぶ国道九四フェリーも、1日16便が運航しています。
    国東半島のみかん栽培は、伊予みかん栽培技術をもった入植者によって始められたところが多く、別府の旅館業者の3分の1は伊予からの参入者だそうです。


    宇佐の八幡大神も四国と宇佐と行ったり来たり、中央の権力者や抵抗勢力との結びつきでいろいろあったようです。

    大神・辛嶋・宇佐の3氏からなる八幡宮神職内部の軋轢は以下ブログに詳しくて読みふけってしまいます。
    宇佐の歴史とてもよくわかりました。

    こちら


    720年(養老4)大隅隼人の乱 鎮圧後「放生会」

    749年(天平勝宝元)八幡大神奈良へ行幸、東大寺大仏の建造に協力

    754年 厭魅(エンミ)事件:薬師寺の僧・行信と八幡宮の神職・大神田麻呂ら人を呪い殺そうとする呪法を行ったとされ失脚。

    755年 八幡大神の宇和嶺遷座:「汝等、穢はしくして過有り。神吾、今よりは帰らじ」と託宣して四国は伊予国宇和嶺(現愛媛県八幡浜)に移り、宇佐には大神不在という異常な事態

    767年 宇和峰から大神を迎え、小椋山の北東・大尾山に新しい宮(現大尾神社)

    769年 道鏡天位託宣事件

    782年(延暦元)小椋山再遷座:復帰した大神氏が八幡宮神職団の主導権を再掌握したことを意味し、以後、八幡大神は応神八幡神として各地に広がっていくこととなる。




    国東半島の神仏習合と、宇佐の歴史と、大隅隼人の乱
    とかぜ~んぶ繋がってたんですね。



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    旅の3日目、さすがに目が覚めると外は雨。
    天気予報ではその前日午後から雨、でもありがたいことに遅れて降り出したのは夜半から。
    2日目の国東半島の山腹にあるお寺巡りはお天気に恵まれて助かりました。

    臼杵石仏は、ネットで予習したらたいていは石仏が大きく写っているので、その周りが想像と違ってた。
    いつか行く人の参考になるかと周りをメインに画像アップしておきます。



    石仏観覧券集札所を過ぎた坂道下より撮影。
    入場券は駐車場の前にあるお煎餅屋さんで、そこの従業員さんがガイドをしてくださるようです。
    そして帰りはそこでお土産買うような仕組み。


    雨に煙ってて、なかなか風情がありました。


    坂を上がったところに建屋に覆われたホキ石仏第一群










    それなりな坂と階段を上がります。




    山王山石仏


    その右手に

    日吉神社
    雨降ってるし団体見学で時間ないので鳥居を撮影しただけ。

    最初のホキ石仏群の建屋を山王山から遠景で写すと



    坂道下ってまた上がり、古園石仏

    右からみるのと左から見るのは表情が違って見えます。






    以前は、仏頭が落ちて下の台座に安置され、それがまた世界的に有名だった。
    400年前の地震で落下、350㎏もあるそうです。



    保存修復により平成5年8月に仏頭は復位し胴と一体となりました。


    これら石仏群は平成7年6月に磨崖仏では全国初、国宝に指定されてました。

    ちょうどこのころにか、天皇皇后両陛下は臼杵石仏群をご見学になられ、そのために階段は美智子さんの足幅に合わせて作られた。
    よって美智子さまの階段とよばれると聞きました。

    鳥海山でも皇太子が山の傾斜を歩きやすいように階段道を作ったと言われてました。
    皇族が来られると急激に開発が進むというエピソード、日本各地津々浦々にあるのでしょうね。



    石仏観覧券がいらない柵覆われてない田舎の風景、こころが落ち着きます。
    ずっと先に蓮池があり、もうすぐ楽しめますね。
    近くで暮らしてたらこのあたりの散歩できていいなぁ~




    日吉神社が気になって調べたら、田んぼのなかに一の鳥居らしきものがあるようです。



    今はきれいに整備され観光地化された臼杵石仏群でした。



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    高千穂渓の真名井の滝です。
    このごろのツアーによく組み込まれてるので、高千穂渓谷人気なのかな。
    個人で国東半島まわってたとしたら、高千穂は行かへん。
    ツアーだからこそ想定外の行程だと楽しませてもらう。



    朝8時に別府のホテル出て、1時間弱で臼杵石仏へ。
    地図でルート検索したら 47分 53kmだった。



    臼杵に約1時間ほど滞在し、10時ごろ出発、途中で道の駅「北川はゆま」に寄り、高千穂に着いたのが正午ごろ。
    Google地図で、1時間50分 124km。




    高千穂といえば、天孫降臨のお神楽





    この古民家の食事処でお昼食べて、13時から遊歩道ハイキング。





    高千穂大橋があんなに上に見えます。



    雨も上がり時々小雨程度、傘はほとんど使わなくてすみました。

    2006年10月に高千穂神社参拝した記憶あるけど、遊歩道は歩いてない。
    過去ブログで旅の記録見たら、幣立神宮参拝の後は書いてなかった。
    2006-10-25 五百枝裏杉の前で


    自分の記憶もどんどん薄れていく昨今、この日記ブログに記録してないことは記憶からも消えていく不安。


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    夜が明ける少し前だっと思う。
    ガッシャ〜ンと大きな音がした。
    屋内の一階で何か物が落ちた音でした。
    以前にもこういった経験あり見に行ったら、お風呂場の窓枠にのせたものが落ちてた。
    で、今回もそんなものかと思って、そのまま寝てた。


    朝ゴミ出ししようと玄関行ったら、
    エッシャーの額が割れてた( ´Д`)yーー



    マットがあったので少しは衝撃やわらいだのでしょう。



    収納ベンチの下にもガラス破片いっぱい散らばってた。
    破片片付けながら、これは警告かもしれん、画像残しとことスマホ取りに行って撮影。


    玄関ホールの窓上に掛けてありました。

    やっぱりガラスの額は危ないですね。


    階段にもいっぱい飾り額あり、どれもこれもガラス。
    もう何年もそこに掛けたままで月日が流れてる。
    この機会に撤去するとか見直そうと思いました。

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    宇佐神宮で昼食とった店の横で、新物にんにく売ってた。
    旅が始まったばかりで匂いのあるにんにく買うのは躊躇した。
    けど、宇佐産なんてもう二度とこの先であうことないでしょう。
    二種類合わせて800円と格安のお値段にも惹かれて購入した。
    ビニール袋二重にして、連泊ホテルではバッグ外で保管した。

    家に帰るとビニール袋内に水滴、汗かいてる。
    新物だから水分多いので、数日間陰干しした。
    5/30から炊飯器保温にして、臭いが屋外に出るように駐車場に置いた。
    何度か釜内の位置変えて、6/10スイッチ切る。


    炊飯器蓋を開けると、黒ニンニクになってもやっぱり匂います。
    熱が冷めるまでしばらくどこ置こうかと思案し、蓋を開けてそのまま玄関ホールに置いたまま。

    そしてその夜中のエッシャーの額落下事件発生!
    宇佐大神のなんらかの啓示、警告だと思えたりします。



    二種のニンニク、なぜか最初から外回りの皮むいてあったほうが水分多く、中身はゼリーからジュレ状に近く柔らかい。
    共に味は、過去に作った青森産より濃厚です。


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    遠景で撮影したので拡大するとやっと
    加古川刑務所というプレート表札見えるでしょうか。



    撮影禁止ですから。



    兵庫県加古川市の日岡山の南東に所在します。


    17回にもわたり国東半島の旅の記録綴ってましたが、その間ブログ書いてただけではありません。
    ちゃんと月末の仕事もしてますし、あんなことやこんなこともいろいろ。
    その中の一つに、保護司会の刑務所施設見学もありました。

    こちらは見学日が月曜と指定されてますが、刑務所により曜日は違ったりします。

    加古川刑務所の敷地は222353㎡、
    甲子園球場6個分だそうで、めっちゃ広かったです。
    構内移動に、私たちが乗っていった観光バスで移動したぐらい。
    2㎞四方だと聞きました。

    旧大阪陸軍航空補給廠(しょう)神野(かんの)出張所の跡地にあります。
    昭和23年大阪刑務所管加古川建築場として発足し、
    昭和24年加古川刑務所として独立。

    昭和39年交通事犯禁錮受刑者の集禁施設に指定。
    昭和53年交通事犯懲役受刑者の集禁施設に指定。

    平成24年女子収容施設工事完了、収容開始。
    平成28年公共サービス改革法のよる給食業務の民間委託開始。

    以上の歴史からも、随分他とは違ったところあるのがお分かりいただけるかと思います。

    収容定員は
    一般区(成人男性のこと) 961名に対し、5/28現在収容数 731名
    女区 200名→189
    開放区(交通事犯受刑者のこと)120名→41  

    初めての交通刑務所見学でした。
    やはり一般刑務所とは処遇に違いがあり、自由度が高いし、昼食後鎮魂をささげるスペースで手を合わせる祭壇の間も見せていただきました。

    ひょんなことで交通事故の加害者になる可能性は、だれしもあり得ますから。
    思いはいろいろ駆け巡りました。




    広い構内見学させてもらって、日岡山が気になりました。
    加古川の地名由来も含め、調べてみました。
    このあたり、加古川市大野、日岡神社があるこの一帯の小高い岡には、前方後円墳4基、円墳11基ある古墳群でした。
    景行天皇の后、稲日太郎姫陵(いなひおおいらつめ)のひれ墓も。

    この丘が日岡山となずけられたのは、『播磨風土記』によると、
    応神天皇が狩をされたときに1頭の鹿が「比比」と鳴いた、
    またこの丘を眺めたときに、子鹿がうずくまっているように見えた、
    「鹿子(かご)のごとし」というところから、現在の加古という地名につながっているそうです。

    古代の歴史満載の地でした。


    加古川市には八幡町宗佐という地名があり、宗佐の厄神さんが鎮座します。

    宗佐と書いて、そうさと読みます。
    うさかと思った。

    せんだっての記事の宇佐繋がりです。

    宗佐厄神八幡神社近くに加古川学園と播磨学園 があります。
    過去に面接や見学に訪れているので記録残しています。


    続く






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    今夕たまたま見かけた猫ちゃん。
    門柱上で狛猫みたいに護ってました。
    なかなか面構えのいい猫ちゃんで
    こんな猫見るとまた飼いたくなります。



    ギズモともぐちゃんが逝って2年。
    昨夏は店猫のしんのすけが20数年生きて大往生、まさに妖怪猫でした。
    先週6/7には娘んちの黒猫ムンクが病魔に勝てずギブアップ。


    そして今晩、店猫のぺぺがあっけなく逝っちゃった。
    姿見かけないなと探したら、応接間に隠れてるのを発見。


    今日午後13:26撮影。
    具合悪そうやな、夕方に病院行くかと話してたとこだった。

    まさかの急展開に驚きと悲しみと…




    今朝の雲です。





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  • 06/16/18--20:09: ムクゲが元気


  • 梅雨の晴れ間に生き生きと咲き誇ってるムクゲ。
    韓国の国花だそうですね。



    先週6/12の米朝会談、トランプさんもムンジェインさんもノーベル賞もらうつもりなのかな。

    北朝鮮の国旗とUSAの国旗、ともに色は赤と青と白。
    50個ある星の一個がエキセントリックに特化した星が北朝鮮だったりして。
    キムジョウンさんは90年代にスイスに留学してますが、ブッシュ政権下で副大統領を務めたチェイニーさんと繋がってるという話をどこかで読んだ記憶あります。
    北朝鮮の核兵器開発は、云々という。



    >北朝鮮の核兵器開発は、イスラエルのアイゼンベルグ社の推進するパキスタンの核兵器開発を母体としていた。このアイゼンベルグ社の大株主が米国の副大統領ディック・チェイニーである。チェイニーの経営する傭兵会社ブラウン・ルート社の特殊工作部隊は、アイゼンベルグ社が軍事訓練を施している。

    続きは ☞ こちらで

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    ジャガイモもらった。
    ちょっと違う食べ方しようとアヒージョ作ってみた。
    ふつうはエビとか魚介類だと思うけど。

    冷蔵庫の残りもの、豚バラと舞茸と一緒に地中海の肉じゃがテイスト。
    アヒージョの素とオリーブオイルと自家製黒ニンニクとで。



    ちょっと不安だったので、ジャガイモの半分はフライドポテトにした。
    アヒージョの味はイケてた(^-^)v

    またいろいろバリエーション変えてチャレンジしてみようと思いました。

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